六波羅探題の目的と役割
六波羅探題の具体的な役割とはどのようなものだったのでしょうか。
もっとも重要な仕事が「朝廷の監視」であることは言うまでもありません。
もうひとつ「西国の御家人たちの統率」という役割も担っていました。承久の乱で幕府に味方し手柄を立てた御家人たちの監視も、六波羅探題に課せられた重要な任務と言えます。
さらに、こうした「御家人たちの周りに起きるトラブルの解決」にも、六波羅探題が大きく関わっていました。西国方面に急激に広がった領地に絡んだトラブルが後を絶たず、地主と揉めて訴えられる御家人も少なくありません。そんな時、六波羅探題が裁判所として機能することもあったのです。
さらにさらに、「京都の治安維持」という危険な任務も課せられていました。
朝廷内にも、京都の治安維持のための検非違使(けびいし)という役職があったのですが、当時はもう、ほとんど機能していなかったと考えられています。承久の乱で朝廷側の兵士が一掃されてしまったこともあり、朝廷にはもう、都の治安を守る力など残っていなかったはずです。
このようにして、六波羅探題は都で強力な力を持ち、日々重要な職務に当たっていたと見られています。
「六波羅」「探題」って何?
「六波羅」とは前述のとおり、地名に由来します。
現在の京都市東山区の一角にある地名で、六原と記されることもあるそうです。
平安時代中期に、空也(くうや)という僧侶が寺を開き、仏教の教義「六波羅蜜(ろくはらみつ)」から「六波羅蜜寺」と名付けたところから、「六波羅」という地名で呼ばれるようになったと言われています。
探題とは役職の名称。こちらも元々は仏教に由来する言葉から来ており、裁判の判決を下すような重要な役割を担う重職とされていました。鎌倉幕府の時代では、執権や連署(副執権)に次ぐポストで、非常に強い権限を持っていたようです。
この2つの単語をつなげて「六波羅探題」。「六波羅というところに設置された幕府の重要な機関」という意味になります。
日本の転換期であることを示す重要な出先機関:鎌倉幕府の「六波羅探題」
現代人には想像もつかない世界かもしれませんが、朝廷が武士に負けたことで、京都の町は上を下への大騒ぎだったのではないかと思われます。そんな時、鎌倉から強そうな連中が派遣されてきて、京都の町を牛耳る……。朝廷や公家たちはどのような思いだったのでしょうか。現代でも、政権がひっくり返ったり、革命が起きたりすると、不況が続いたり不安定な状態が続くことがあります。そしていつの時代も、巻き込まれて苦しい思いをするのは庶民たち。六波羅探題はそんな庶民たちに寄り添うこともあったのだろうか、ふと、そんなことを考えてしまいました。