小説・童話あらすじ

5分でわかる「サン=テグジュペリ」生涯・名言・代表作品をわかりやすく解説

4-3.生死を彷徨事故とアカデミー賞受賞

事故の2年後に、親友のメルモーズが、南大西洋で行方不明になります。寂しさを紛らわすかのように、ラジオや雑誌などのメディアに、彼に捧げるルポルタージュを数多く出しました。

1938年には、カサブランカ~トンブクトゥやダカール~カサブランカ線の直行便の路線を開設した後、5度目の飛行機事故を起こします。ニューヨーク~ティエラ・デル・フエゴ諸島への長距離線開設検討中の事、飛行中のグアテマラで離陸に失敗したのです。

ここには火山に囲まれた美しい湖があり、この風景が『星の王子さま』執筆のきっかけになったとか。こんな景色とは裏腹に、機体はばらばらになり、生死を彷徨ほどの重傷を負います。ペンを持つ手を切断しなければならないほどの状態で、必死に妻は医師と戦ったとか。しかし、左肩は、自由が利かなくなったのです。

1939年に出版された『人間の大地』がアカデミー・フランセーズ小説大賞を受賞し、世界中でベストセラーとなります。

ちょっと雑学

アントワーヌは、1936~1939年に起ったスペイン内戦についての記事を日刊紙に書き、翌1937年にはラントランシジャン紙とパリ・ソワール紙にもルポルタージュを書いています。2016年6月30日にその正式な内戦取材許可証が、トレド県の小さな村で発見されました。

この内戦の取材には、ヘミングウェイやオーウェル、マルローなど、名だたる作家たちが取材に入っています。

5.サン=テグジュペリの晩年は?

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伯爵の息子で金銭的に苦労はなく育ち、問題はあるも明るい少年でした。独り立ちをしてからは、人間関係に苦労し飛行士になるまでには転職を繰り返し婚約者にも見放されます。結婚するも夫婦仲は悪く借金に追われ中傷されることも度々あり、散々の人生でした。彼は晩年「死に急いでいたように思う」という人も

 

5-1.命がけの偵察飛行

1939年9月にフランスはドイツに宣戦布告をします。33-2偵察部隊に配属されたアントワーヌは既に有名人で、彼の作品を読んだドイツ空軍の飛行士たちは、こぞって「彼が所属する部隊との対決はしたくない。」と語ったようです。

次第に戦況が悪化し偵察飛行は命がけでしたが、翌年12月の独仏間休戦協定の調印後に、リスボンからニューヨークへ亡命します。1941年に書いた『戦う戦士』は、ナチ党指導者ヒトラー著の『我が闘争』に対する、民主主義からの応えとして高評価を得るのです。

サン=テグジュペリがこの本を書いた理由は、アメリカに、ドイツ攻撃への参戦を決意させたかったから。彼は、1936年から書き続けている『城砦』の執筆もしています。

5-2.亡命中も執筆力でハーレムに

ニューヨークに住むフランス人たちは、ペタン派、ドゴール派、無党派に別れて争っていたのです。休戦後に成立したヴィシー派だとみなされ、アントワーヌに敵意を示すものが数多くいたとか。

敵意を抱く彼らを「5番街のレジスタンス活動家」と呼ぶも、彼は自信を身の置き場のない放浪者のように感じていたようです。ドゴール派に身の潔白を示そうと、『ある人質への手紙』を書いています。

やってくる夜と果敢に立ち向かうパイロットの姿を描いた『夜間飛行』が、25万部のベストセラーになりました。これを受けアメリカの出版人たちは、VIP扱いを受けています。1942年夏に、妻のコンスエロが見つけたロング・アイランドの邸宅で、彼の代表作『星の王子さま』を書きました。彼は、疎外感から逃げるように筆を走らせたようです。

5-3.サン=テグジュペリの最期の任務とは?

1942年4月にアメリカは参戦し、11月に北アフリカに軍を置きます。翌年にサン=テグジュペリは、アメリカ当局から戦闘参加許可と移動証明書を得て、アメリカを去り、北アフリカへ向かったのです。『星の王子さま』は、出発数日前にレイナル&ヒットコック社からアメリカで出版されました。

5月4日にアルジェに上陸し、6月に33-2部隊に復帰します。祖国フランス上空を偵察飛行し、ローヌの谷を写真に収め帰還。8月1日から2回目の偵察飛行で、着陸に失敗し飛行停止命令が下りました。

少佐に昇進し、中隊に復帰。7月に飛行訓練を再開します。隊はコルシカ島のボルゴ基地に移動しました。7月31日8時45分にF-5B機に乗り基地から飛び立ちますが、交信が途絶えます。14時30分に行方不明と断定されました。

5-4.彼の死はドイツ軍による撃墜だった?

行方不明となった彼の部屋から、8年もかけて書き続け900ページにも及ぶ大作『城砦』の原稿が見つかりました。未完成ながらも、4年後の1948年に刊行されました。晩年の彼の考え方を知ることができる、貴重な作品とされています。

1998年9月7日にマルセーユ沖で、彼が乗った飛行機が発見されたのです。飛行機の中ではブレスレットが発見されています。遺産相続人の意向により、当時は引き上げが行われませんでした。2003年に、政府から正式な許可が下り引き上げられています。

自殺説もささやかれていますが、コートダジュール沖でドイツ軍により撃墜されたとの目撃情報があがったのです。更に元ドイツ軍パイロットのホルスト・リッパート氏が、「彼の機を撃墜したのは自分だろう。サン=テグジュペリと知っていたら絶対に撃たなかった。なぜなら、好きな作家の一人だから。」と語ったようです。

6.サン=テグジュペリの名言

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生きた言葉で伝えたいと考えていたサン=テグジュペリは、空間と時間をさまざまな言葉にして残しました。言葉は人間と同じで、重荷になったり、気取ったり、嘘をつくこともあります。本の中にかかれる言葉を使って、私たちを空の世界へと駆り立ててくれているようです。それでは、彼が残した名言をご紹介したいと思います。

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・「愛する、ただひたすらに愛するということは、なんという行き詰りだろう!」(『夜間飛行』より引用)

・愛するということは、我らが互いに見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることだ。(『人間の土地』より引用)

・いったい、自分の中で何が起きているのか。無数の星には磁力があるのに、この重力がぼくを地に結びつけている。ぼくは、ぼくを多くの事物の方へと引き寄せる自分の重みを感じていた!(『人間の土地』より引用)

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