日本の歴史飛鳥時代

飛鳥文化はどんな文化?太古の日本に花開いた国際色豊かな仏教文化をわかりやすく解説

飛鳥文化の代表例:著名な寺院や仏像をご紹介!

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現代なら、海外の情報など当たり前のように、リアルタイムにその日のうちに伝わってきます。しかし今から1400年前の飛鳥時代、海を渡る船は小型で手動。朝鮮半島から日本への航海は命がけの大仕事だったはずです。そんな貴重な仏教文化に大きく影響を受けた飛鳥文化。実際に見ることができる遺構は数少ないですが、現存するものや当時を知ることができるものなど、飛鳥の風を感じられる建造物や仏像をいくつかご紹介します。

日本初の本格寺院・四天王寺

大阪市天王寺区の町中に鎮座する、日本初の本格的な仏教寺院のひとつ、四天王寺。聖徳太子が建立したと伝わっています。

敷地は広く、都会の喧騒を忘れるほど厳かな雰囲気。五重塔や金堂、講堂などの建物の周囲を回廊が通るスタイルで、6世紀頃の中国大陸の様式を取り入れたものと言われています。

飛鳥時代当時は、こんな高い建物は珍しかったはず。多くの人々が驚き見上げたであろう五重塔の向こうに、日本屈指の高層ビル・あべのハルカスの勇姿が。この2つの建造物を写真におさめようとカメラを構える人も少なくないようです。

『日本書紀』によれば、崇仏論争を繰り広げていた蘇我氏と物部氏の間の戦いで、当時まだ14歳だった聖徳太子は蘇我氏の軍の後方に控えていました。物部氏に攻められ戦況が悪化したとき、聖徳太子は木で四天王の形を作って勝利祈願をしたのだとか。その後、蘇我氏は物部氏に勝利。聖徳太子は四天王を安置する寺を建立。それが四天王寺です。

長きにわたり、人々に親しまれてきた四天王寺ですが、自然災害や空襲などにより、幾度となく焼失。その度に、多くの人々の尽力により建物は飛鳥時代当時の様式を忠実に再現する形で復元され、復興を遂げてきました。

広い境内は今も昔も人々の憩いの場に。現代でも、一年を通じて様々な祭りや行事が行われ、フリーマーケットなどが開かれることも。聖徳太子が願いを込めて建てた寺院は、今も多くの人々に愛され続けています。

蘇我氏によって造営・飛鳥寺と飛鳥大仏

飛鳥時代の中心地・奈良県高市郡明日香村に残る寺院、飛鳥寺(あすかでら)。

現在はのどかな田園風景が広がる山間の盆地ですが、1400年前、ここは日本の政治の中心地でした。天皇が住まう建物の周囲に貴族たちの住居が立ち並び、多くの人が行きかう都があった場所。時は移ろい、飛鳥寺はこの場所でひっそりと、時の移り変わりを見つめてきました。

崇仏論争の中心人物であった蘇我馬子(そがのうまこ)が、対立する物部守屋(もののべのもりや)との戦いの勝利祈願のため、寺院を建造すると決めたのだそうです。

もともとは法興寺と言われており、蘇我氏の氏寺として6世紀末頃に成立したと考えられています。

蘇我氏は日本国内で大きな力を持つだけでなく、朝鮮半島にも人脈を持っていました。その影響もあってか、寺院の建立にあたり、百済から寺大工や職人、僧侶などが数名派遣されています。

710年に平城京に遷都されてからは、飛鳥寺も元興寺と名を変えて平城京にお引越し。飛鳥の飛鳥寺は自然災害などが重なって衰退してしまいますが、江戸後期に本堂が再建され、現代まで受け継がれてきました。

創建当時の伽藍は既に失われており、お堂や塔の礎石が残るだけですが、今も多くの観光客が訪れます。

本尊は「飛鳥大仏」と呼ばれる釈迦如来。こちらも、飛鳥文化を代表する遺構のひとつです。

飛鳥文化の象徴・法隆寺(斑鳩寺)

解説の必要もないほど著名な名刹ですが、飛鳥文化を語るならこの寺院を避けるわけにはいきません。

現存する世界最古の木造建造物と言われる法隆寺。1993年、ユネスコ世界文化遺産に登録されました。

場所は奈良県生駒郡斑鳩町。地名から別名「斑鳩寺(いかるがでら)」と呼ばれることもあります。

『日本書紀』によれば、寺の造営が決まったのが601年。創建は607年。決めたのはもちろん、我らが聖徳太子です。父・用明天皇のために建てたと伝わっています。

近代に入るまで、法隆寺は創建当時の建物が残されているものと考えられていました。しかし『日本書紀』の中に、670年に法隆寺が焼失したとの記録もあり、再建されたものなのか、それとも焼失の記録は間違いなのか、様々な説があるのだそうです。

1400年もの間、その姿を留めている法隆寺。お堂や鐘楼の焼失や建物の老朽化などに悩まされ続けていますが、多くの人々の尽力により幾度となく修復が行われてきました。

法隆寺は寺院であるとともに、聖徳太子の意思を受け継ぐ学び舎としての役割も担っていたと言われています。

時代が進むと、政治的に大きな影響力を持つ寺院も増えました。豪族や戦国武将と対立し、戦火に巻き込まれる寺院も少なくありませんが、法隆寺はそうした争いとは距離を置き、太子信仰を貫きます。結果、法隆寺は兵火に見舞われることなく、2000点を超える仏教美術や宝物とともに、その姿を現代に残すことになったのです。

法隆寺の五重塔は、東京スカイツリーのお手本になったことで、さらに注目度が高まりました。この塔は上にいくほど塔身が細くなるなど、非常に高い構造技術を用いて建てられています。

仏教の影響を強く受けた国際色豊かな飛鳥文化

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飛鳥時代は歴史的にも大きな転換期となった重要な時代でした。飛鳥文化の礎となる仏教文化を推奨した蘇我氏は、その後、天皇を凌駕するほどの権力を持ち、日本古代のスーパーヒーロー・中大兄皇子と中臣鎌足によって蹴散らされてしまいます。そして645年の大化の改新。改新の後は「白鳳文化」と呼ばれる、日本独特の雰囲気を取り入れた文化が花開いていきます。大陸から渡ってきた仏教文化を取り入れて時代を作り、次のステップにつなげていったのが飛鳥文化である、と考えてよさそう……。現存するものは少ないですが、今後機会があったら改めて、飛鳥時代のことを思い描きながらじっくり見学してみたいと思います。

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