小説・童話あらすじ

5分でわかる「ダニエル・デフォー」生涯・名言・代表作品をわかりやすく解説

3-4.ハーレー地獄へ落ちる

1689年に政界入りしプロパガンダを上手く利用したハーレーは、1710年に政治のトップ、首相に就任します。スウィフトはハーレーのことを「恐怖心、強欲、残酷さ、高慢などとは、無縁の人物だが、野心がないわけではない。」と評価しました。でも、主義主張を明らかにする政治家だったことから誤解が生じたのか、同時代の政治家たちは「詐欺師ロビン」と不名誉な渾名をつけています。デフォーは、ハーレーを生涯「恩人」と呼ぶも、ハーレーはデフォーを利用する道具として手懐けていたとも

ハーレーが政界でトップとして君臨する頃、恩に報いるため必死で働きました。ホイッグ系の閣僚が離反してしまい、トーリー党に引き込まれトーリー内閣といわれます。トーリー右派からの圧力でハーレーは追い落とされ、ホイッグからも敵視。政治家たちを束ねるどころか指導力を発揮できないほどの四面楚歌状態でした。

3-5.ハーレー政権に貢献

スパイ容疑で尋問中のギスカールを、フランス人が刺殺する事件が起こります。この時に負傷したハーレーに世論の同情の声が高まり、辞任を考えるほどの状況から復活。ここからハーレーは、オックスフォード伯爵となります。

事件後にデフォーは、ホイッグ党がハーレーとフランスが結託していると疑っていると気づき『ある傍観者からホイッグ党員への建白書』を書き、「英国の経済破綻を避けようと平和のために日々努力している。」と伝え、ハーレーの身の潔白を証明したのです。デフォーの功績もあり、1714年までハーレー政権は安泰でした。この頃がハーレーの最盛期だったようです。しかし、アン王女に後継者問題が起こり、デフォーとハーレーの立場が不安定になります。

3-6.ハーレーとの別れ

スウィフトもハーレーに仕えており、多方面から情勢を見られるよう2人を上手く利用したようです。デフォーを陰の存在にして冷たくあしらい、スウィフトは必要な人物として手厚く扱ったとか。1713年に3度の投獄では、再度ハーレーに救われます。9年で1500部を記録した『The Review』も廃刊となりました。

彼は度重なる逮捕にアン王女に嘆願書をだし、5月2日に釈放。11月20日の恩赦状により、精神的にも開放されました。翌年にアン王女が他界し、ユトレヒト条約交渉で同盟国を裏切ったとトーリー党に嫌悪感を抱くジョージ1世が即位し不人気を理由にトーリー党を排除。ハーレーが政界から追放されると2人の縁が切れ、執筆からは政治が消えて行きました。

その後苦境に陥るも、演劇形式で書かれた『家庭信仰のすすめ』が一般受けし、『ロビンソン・クルーソー』の誕生のきっかけとなります。

4.デフォー!小説家として蘇る

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1719年に鮮烈な小説家デビューを飾るころのデフォーは、ジャーナリストとして10年間批判され続け孤独に苛まれていたようです。彼の代表作でイギリス文学初といわれる小説『ロビンソン・クルーソー』。この作品は、大ヒットします。以前から小説の創作は始めていましたが、小説家として作品を世にだしたのは、この作品が初です。

4-1.デビュー作が大ヒット

無人島にたどり着いた主人公が、信仰に目覚め離島でひとり規律正しい生活を送り、自立した精神でさまざまな困難を切り抜ける姿を描いた『ロビンソン・クルーソー』。今でこそ名作となっていますが、平均寿命が37歳当時59歳のデフォーの作品を出版するのは当時の出版社としてもかなりの冒険だったとか。

スタートが好調だったことから、第二部の『ロビンソン・クルーソーのさらなる冒険』という続編もすぐに出版されています。

 

ちょっと雑学

『ロビンソン・クルーソー』の原本を日本人が初めて手にしたのは、アメリカボストンで新島襄が購入した時だとか。蘭語を黒田麹廬(くろだきくろ)が翻訳した重訳本を読み、海外出航したいという気持ちになるほど魅力的で、どうしても欲しかったようです。

4-2.晩年のデフォーは?

翌年には、『海賊シングルトン』と『ロビンソン・クルーソー反省録』、1722年には有名なスリで5度も結婚をするあばずれ女を主人公とした『モル・フランダーズ』を始め、疫病の大流行を扱った歴史的フィクションとして成功を収めた『ペスト』などを出版します。

1722年は多くの小説を出版し、雑誌への記事や論文、パンフレットなども継続していました。収入も多く数百エーカーの土地を市から頭金1000ポンド、賃料年120ポンドで借り、土地の木材で大儲けを企むも失敗。近辺にも農地を借り、チーズやバター、牛肉なども売っていたとか。更に、ボタンやなめし皮などの製造も手掛けました。

1675年ごろには自身の人生を振り返った『名誉と正義に訴える』という弁明書などを書いています。60間近のデフォーは小説などの執筆活動だけでなく、商売への意欲も旺盛でした。ストイックな人生を送った人物だったことが想像できますね!

4-3デフォーの最期の時

『モル・フランダーズ』では、ヨーロッパ各地を訪れる主人公の姿から、地理学の知識の深さを示したかった彼の心が現れています。しかし、『ジャック大佐』の執筆から14ヶ月たっての作品『ロクサナ』が、最後の小説で1725年以降から体調を崩し小説は書いていません。

『ロクサナ』の3ヶ月後には彼の集大成ともいえる旅行記『グレイトブリテン全島周遊記』を書き、その後も精神世界を扱った『悪魔の策略の歴史』など執筆活動は精力的に続けています。

1730年に突然姿を消し、翌年4月24日に71歳で、ロンドンのロープメイカーズ・アレーの宿で老衰(脳出血とも)のため逝去しました。最後まで返しきれなかった借金償却のため、彼の死と共に約500冊の蔵書を競売する公告がでたとか…

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