ヨーロッパの歴史

西ローマ皇帝となったカール大帝(シャルルマーニュ)の生涯を元予備校講師がわかりやすく解説

スペイン侵攻と『ローランの歌』

778年、カールはイベリア半島のイスラム教徒を攻撃するため自ら軍を率いてピレネー山脈を越えました。カールはスペイン北東部の街サラゴサを包囲します。サラゴサのイスラム教徒から人質を得たカールはフランク王国へ撤退しようとしました。

しかし、カールの軍勢がピレネー山脈で細く、長く、分散した時を狙ってバスク人たちが奇襲攻撃を仕掛けます。バスク人はカロリング朝の支配を嫌っていたため、カールの軍を襲いました。数の優位を生かせないカールの軍勢は、バスク人たちに敗北します(ロンスヴォーの戦い)。

この時、カール軍の殿を守っていたのがカールの甥で、12人の勇者(パラディン)の一人だったローラン。このローランの奮戦をもとにつくられた騎士道物語が『ローランの歌』です。物語でローランは、愛剣デュランダルを手に最後の最後まで戦いますが、力尽き、討ち取られてしまいました。

アヴァール人討伐

6世紀、東方から移動してきたモンゴル系のアヴァール人パンノニア平原(今のハンガリー)に進出し、自らの王国を建てました。アヴァール王国はビザンツ帝国を襲い、貢納金を巻き上げ、財源とします。

カールは、アヴァール人の勢力拡大を抑えるためアヴァール人との戦いを始めました。アヴァール人は征服した土地の都市や教会を破壊していたため、キリスト教を守る役割を期待されつつあったカールにとって、戦いを回避する選択肢はありません。

国力の差から、徐々にフランク王国が優勢となっていきます。796年、カールは遠征軍をパンノニアに派遣し、アヴァール人の宮廷を襲わせ破壊しました。本拠地を破壊されたアヴァール人の力は急速に衰退。東からやってきたマジャール人に滅ぼされ、吸収されます。

カールによる領土の経営と皇帝戴冠

カールは西ヨーロッパ各地での戦いに次々と勝利し、領土を拡大しました。カールは現在のドイツ、オランダ、ルクセンブルク、ベルギー、フランス、イタリア、ハンガリーなどにあたる地域を征服し、フランク王国の領土とします。

それにしても、広大な帝国ですよね。カールは、通信が発達していないこの時代に、東西にまたがる広い領土をどうやって統治したのでしょうか。その答えは、各地に「」を設置し、地方の政治を委ねて統治させることでした。

とはいっても、伯に支配させるだけだと、伯がカールの言うことを聞かなくなる可能性があります。そこで、伯がカールの命令通りに政治を行っているか、巡察使を派遣してチェックさせました。

800年、カールが西ローマ各地をしっかり統治していると判断したローマ教皇レオ3は、ローマ帝国皇帝の冠をカールに授けます(カール戴冠)。カールは、西ヨーロッパキリスト教社会の守護者として教会に認められました。

カロリング=ルネサンス

カール大帝は、自分の宮廷をドイツ東部にあるアーヘンに置きました。アーヘンには、多くの学者たちが集まります。

アーヘンに集まった学者のうち、もっとも有名なのはアルクィン。もともとイギリス生まれだったアルクィンは、781年にイタリアのパルマでカール大帝と出会います。そして、そのままヨーロッパにとどまり、カールの宮廷があるアーヘンで教育や研究をつづけました。

そして、アルクィンは現在のアルファベットの小文字にあたる「カロリング小字体」を作り出しました。アルクィンら学者たちは失われた古典文芸を復興させようとしました。学者たちによる取り組みは、カロリング=ルネサンスとよばれる文化がはぐくまれます。

後の時代のイタリア=ルネサンスと違い、あくまでカールの宮廷内だけの動きでしたが、この研究がルネサンスの基盤となったことは間違いないでしょう。

カール大帝の死と帝国分割

フランク王国では、兄弟で遺産を公平に分割する習慣がありました。カールも、その慣習に従い、嫡男のカールと、次男のピピン、末っ子のルートヴィヒに領地を分け与えます。しかし、カールとピピンがカール大帝より先に亡くなったため、カール大帝の死後はルートヴィヒが単独でフランク王国を相続しました。

ルートヴィヒが亡くなると、ルートヴィヒの3人の子がフランク王国を分割しました。この取り決めをヴェルダン条約といいます。フランク王国は西フランク中部フランク東フランクに分割されました。

中部フランクを治めていたルートヴィヒの長男ロタールが死ぬと、西フランク王と東フランク王はロタールの王国を分割してしまいます。この条約をメルセン条約といいました。

ヴェルダン条約とメルセン条約によって分割されたカールの帝国は二度と統一されることはありません

カール大帝の意外な素顔

image by PIXTA / 1292631

カール大帝と息子のルートヴィヒには共通の趣味がありました。それは、動物飼育。宮廷付属庭園では、アッバース朝の国王ハールーン・アッラシードから贈られた象や猿、アフリカのイスラム王朝から贈られたライオンやクマなどを飼育します。この動物園にはシカやクジャク、ハトなどもいました。歴戦の勇者といってもいいカール大帝が、動物たちと触れ合っているというのは、ちょっと意外ですよね。

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