ヨーロッパの歴史ロシア

北の大国ロシアの歴史とは?わかりやすく解説!

冷戦のリーダーとして

第二次世界大戦の勝利の直前、ほかの連合国の主要国家であったアメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相をソ連領内のヤルタに招き入れて今後の世界情勢を決めるヤルタ会談を開くことになります。

しかし、このヤルタ会談の直後にどちらかと言えばソ連に友好的であったルーズベルト大統領が死去。次々についたトルーマンはソ連を敵対視していくようになりました。

これによって世界はアメリカによる資本主義陣営とソ連による社会主義陣営に真っ二つに分かれてしまい、それぞれ代理戦争という形で朝鮮戦争やベトナム戦争に関わっていくようになります。ソ連は第二次世界大戦中に占領した東欧の国々を社会主義国として独立。その国々を傀儡化して押さえ込むようになりました。

さらにソ連はアメリカとの核開発戦争を推し進めていき1961年のキューバ危機では世界を滅亡する一歩手前まで追い込むことになります。

そんな最中スターリンが1953年に死去。後を継いだフルシチョフはこの状態をさすがにまずいと思ったのかデタントという形で緩めることに。こうしてソ連とアメリカはお互いに戦争はしないものの、微妙な関係となって行ったのでした。

ソ連の停滞とペレストロイカ

こうしてアメリカとの競争を行っていくことになったのですが、1970年代に入るとソ連の社会主義経済に過激が見え始めていきます。

ソ連の社会主義経済によって国民の意欲が薄れてしまったため国内の経済は大幅に停滞。

さらにアフガニスタン侵攻によってソ連の経済は大きく疲弊することになります。

こうした中、新しくソ連のトップとなったゴルバチョフはペレストロイカを行なってソ連を大幅に改革。冷戦も終結させるなど国際社会においても尽力します。

また、グラスノスチなどの情報公開などを行い、さらには部分的に資本主義の制度を導入することが決められました。しかしグラスノスチによってソ連の官僚の腐敗がバレると徐々に各国が独立の機運を見せていくようになり、1989年には東欧諸国がほとんど社会主義国を捨てるという事態に突入。さらに国内でもクーデターが起こりソ連はついに1991年に崩壊することになりました。

ソ連崩壊後のロシア

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ソ連崩壊後、ソ連を構成していた国はそれぞれ独立。ロシアも資本主義国家として新しくスタートを切ることになりました。
しかし、急激な資本主義の導入は経済の混乱を招いてしまい、ソ連崩壊後ロシア経済は大幅な低下、さらにストリートチルドレンやロシアマフィアなどの暗躍もあり、国内では貧富の差が激しいものとなってしまいます。
しかし、現在大統領に就任しているプーチンが2000年に大統領となると経済の立て直しを急激に行なっていき、現在ではある程度の経済は復活しているという状態にありますね。
しかし、現在でもアメリカとは良い関係にあるとは言えず、ロシアのこれからに期待がかかっています。

ロシアは北の大国として今も輝いている

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ロシアはソ連崩壊後は低迷している経済ですが、それでもロシアが世界に与えている影響力は大きいものには変わりません。
その背景にはロシアの人が紡いできたれきしがあったからなんでしょうね。

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