日本の歴史

日本の原点と言われる「イザナギ・イザナミ」って結局何者?謎をわかりやすく解説

イザナギ、イザナミの日本列島進出の道筋

日本書紀や古事記に伝わる日本列島の形成過程は海人族の進出過程といえるでしょう。その過程を見ると、イザナギ、イザナミの海人族は、明らかに南方から移動して来た人々だった可能性が高いのです。オノゴロ島は淡路島の近く、すなわち、紀伊水道にあったと思われます。南海から黒潮に乗って来た人々が最初に日本列島にたどり着く場所が紀伊水道なのです。オノゴロ島、淡路島を経由して瀬戸内海を西進して、長門海峡を経て日本海に出て、沿岸地域や多くの島に進出して行ったことがわかります。そのあとにも、小豆島、大島(屋代島)など多くの島が生まれているのです。

いずれにしても、当時の日本の中心は現在のように太平洋側ではなく、日本海側が中心だったようですね。

ただ、記紀では、イザナギ、イザナミの海人族の日本海の北上は佐渡島、越の国までになっていました。縄文時代前期の文化、集落の中心は、青森県の三内丸山遺跡に見られるように青森県から新潟県にかけての地域になっていたのです。イザナギ、イザナミたちの海人族は、縄文時代中期以降の日本列島が寒冷化した時代に舟で進出していったと思われます。

海人族の痕跡は日本書紀や古事記にもある

縄文時代の海人族の痕跡は、日本書紀や古事記などにもいろいろな表現で残っています。すなわち、もともと天の高天原など、天照大神などの皇室につながる神は天孫族(天神)と呼び、日本列島の土着の地上の神は地神とされていました。この「天」という文字は「あめ」と読まれており、これは「海」の「あま」がなまったものと言われているのです。

天の岩船」などの海に関係した言葉もたくさん出ています。これらは、天孫族が海人族であった名残りと言われているのです。

イザナギ、イザナミの謎を追う

image by PIXTA / 49158820

では、イザナギ、イザナミの夫婦神の古代史における謎にはどのようなものがあるのでしょう。そのなかで注目すべきものはやはりイザナギとイザナミはなぜ天皇家の祖先として祀られていないのかです。これに絞って迫ってみることにします。

なぜ皇室の祖先はイザナギではないのか

現在の天皇家の祖先は天照大神と言われて、伊勢神宮に祀られています。しかし、天照大神(オオヒルメムチ)の誕生神話は奇妙です。イザナギが、イザナミの死後に帰ったとされる黄泉の国に行って、うじだらけのイザナミを見て逃げ帰ったあと、筑紫の河原で穢れを落とそう(浄化しよう)とします。川の水で禊(みそぎ)をしたときに生まれたのが天照大神などの三神とされているのです。すでにイザナミがいなくなってから生まれたのが、天照大神などの三神でした。

黄泉の国に帰ったイザナミが皇室の先祖とはしたくなかったのではないでしょうか。イザナミが死後に出雲にあった黄泉の国にいることも不思議で、さらにその姿は縄文人を思い起こさせてくれます。高天原にいたはずなのになぜ出雲なのか、不思議ですね。

このように、天照大神の出自はイザナギにあり、明らかであるのに、日本書紀以降の皇室はイザナギを祖先として祀っていないのです。これは不思議なことですね。イザナギは高天原とは関係がなかったのではないか、オオヒルメムチは高天原に嫁に行ったから、皇室の祖先として祀られていないのではないかなど、いろいろな説が生まれます。日本列島を作ったのも高天原に命令されてとあり、やはり高天原の正当な後継者ではなかったのかもしれません。はっきりしたことはわからないのです。

高天原とはどこにあったのか

次に問題は高天原はどこにあり、イザナギとの関係はどのようなものだったかです。最初、イザナギとイザナミが日本列島を作るように命じたのは高天原と書かれています。そのため、もともとイザナギとイザナミは高天原の一員でが、命令を受けているということもっとえらい神様がいたことになるのです。しかし、物語が進むと、イザナミのふるさとは黄泉の国で出雲に関係していることになってしまっています。さらに、イザナギは最後の地として淡路島に留まり、その地で亡くなったと言われているのです。

本来なら使命を果たしたのですから、高天原に帰ってもよさそうですが、イザナギは娘が女王になった高天原には戻りませんでした。

そのため、現在でも高天原がどこにあったかは解明されていません。

高天原と倭族の関係

image by PIXTA / 36207382

現在の天皇家につながる倭族は、もともと長江下流域にいて、紀元前1千年頃に黄河流域民が北方から南下したときに、海岸沿いに朝鮮南部や北九州に移動したと言われています。そして、紀元後に再び前漢王朝が崩壊したときに中国国内からの民族移動が起こり、朝鮮半島南部の倭族は出雲などを経由して奈良盆地(大和)に移動したらしいのです。

それを示している一つが神武東征神話でした。神武天皇(イワレヒコ)よりも先に大和に達していた饒速日命(ニギハヤミノミコト)の子孫とイワレヒコの子孫はその後も権力争いに明け暮れたようです。ようやく天皇家の祖先として固まったのは10代天皇の崇神天皇(ミマキイリヒコ)になってからでした。その間の天皇は欠史八代と言われ、エピソードが抜け落ちているのです。

次のページを読む
1 2 3
Share: