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シェイクスピア著、喜劇の傑作『ヴェニスの商人』をわかりやすく解説!単純な勧善懲悪の物語では終わらない…?

2.『ヴェニスの商人』の作者シェイクスピアとは

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ロンドンの演劇界に彗星のように現れた、シェイクスピアってどんな人生を送ったのでしょう。シェイクスピアが別人という説が、色々なところで語られており、実はエリザベス女王や哲学者フランシス・ベーコンが、ペンネームとして使っていたとの伝説まであるようです。

このような都市伝説的な噂がたつのも、大学も出ていない彼が書いた作品に、能力の高さを感じられるからでしょう。教養深く豊かな常識と、人に対する鋭い洞察力を持つ人物と評価されています。

2-1イギリスの片田舎で誕生

ウィリアム・シェイクスピアは、1564年にイギリスのストラット・フォード・アポン・エイボンという田舎町で誕生しています。皮手袋職人の父と地主の娘の母は、7人の子宝に恵まれました。父ジョンは地元の腕の良い職人で名士となり、1568年には町長になっています。

幼いころのシェイクスピアについての記録はなく、小中学校に当たるグラマースクールで学び進学はしておらず、父を手伝っていたようです。

2-2彗星の如く現れたシェイクスピア

1582年に18歳のシェイクスピアは、8歳年上のアン・ハサウェイとできちゃった結婚をします。19歳で長女スザンナが誕生し、21歳の時にジュディスとハムネットの双子が生まれ3人の父親になりました。1592年にロンドンに飛び、劇作家となります。ロバート・グリーンを「成り上がり者」と揶揄した若者が噂され、その人物がシェイクスピアだったといわれているようです。その後、1585~1592年の7年間は「失われた年月」と呼ばれる時期で、全く記録がありません。

1593年に初詩作品『ヴィーナスとアドーニス』を出版した翌年の、1594年に新編成された宮内大臣一座(後にジェイムズ1世の庇護で国王一座になる)の共同出資者となり、主要な俳優のリストに名前が載ります。エリザベス1世の時代に、四大悲劇のひとつ『ハムレット』も大評判になっており人気作家となっていました。

2-3晩年のシェイクスピア

1592~1613年に引退するまでの約20年間に、四大悲劇をはじめ『ヴェニスの商人』や『ロミオとジュリエット』、『真夏の夜の夢』など、たくさんの傑作が書かれました。

父を亡くした後は彼の作品は暗くなったといわれており、母が亡くなった後の1608年ごろには、人の葛藤と強さを垣間見られる四大悲劇の残り3作や『冬物語』や『テンペスト』をはじめファンタジックなロマンス劇5作品を書いています。残念ながら1616年に52歳でこの世を去りました。

3.『ヴェニスの商人』の蘊蓄

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Vysotsky投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

シェイクスピアの『ヴェニスの商人』は、喜劇の名作中の名作です。ちょっとした裏話を聞けば、もっと面白く読めるはず。この章では、この物語の蘊蓄を語ってみたいと思います。

3-1長年愛され続ける喜劇『ヴェニスの商人』

実は『ヴェニスの商人』には、種本があるんです。裁判と指輪の部分が書かれた、中世イタリアの散文説話集でフィレンツェのセル・ジョバンニが14世紀後半に書いたといわれる『イル・ペコローネ(愚者)』で、4日目の第一話が参考にされています。他には、箱選びのシーンの『ゲスタ・ローマーノールム』、シャイロックの娘とロレンゾが駆け落ちするシーンにはクリストファー・マーロウの『マルタ島のユダヤ人』もです。

男女の愛、友情、確執、欲深い人間の本質を、アル・パチーノ主演で2004年に制作された映画などの映像や舞台、手塚治虫氏が月刊誌の付録として1959年に『ベニスの商人』をマンガで描くなど、さまざまな場所で楽しまれています。日本で初めてシェイクスピアを紹介したのは『ヴェニスの商人』で、『何桜彼桜銭世中(さくらどきぜにのよのなか)』といい上演は1885です。日本人が受け入れやすいように脚色して演じられています。

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