幕末日本の歴史江戸時代

戊辰戦争悲劇の舞台となった「二本松城」歴史・見どころを歴史系ライターが解説

戦火を免れた唯一の建造物【洗心亭】

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もとは丹羽氏が藩主の時代に、城内の庭園にいくつかあった茶室の一つです。【墨絵の御茶屋】と呼ばれていたそうですね。

17世紀中頃の建築物で木造平屋建て、外壁は真壁造りの土壁に数寄屋風で、内部は茶室として利用していた座敷など2部屋があります。また裏手には便所や浴室があるなど水回りにも工夫がなされていますね。

1837年の地震による崖崩れのために阿武隈河畔に移築されました。この時から藩主のための釣殿とされていました。その後、戊辰戦争による戦火で城内のほとんどの建物が消失するも、移築されたこの建物のみが残ることになったのです。

明治になった1897年に城の南西部にあたる現在地に移築され、【洗心亭】と名付けられました。江戸時代前期の貴重な茶室建築として、2004年に福島県指定重要文化財に指定されています。

藩士たちの綱紀粛清を願った戒めの言葉【旧二本松藩戒石銘碑】

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Suikotei投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

二本松藩5代目藩主丹羽高寛公が、家臣の岩井田希夷の献策によって一夜にして彫らせた石碑です。大きな自然石に、藩士たちの綱紀粛正と藩政改革への願いを込めて刻ませたとされていますね。

度重なる飢饉や食糧難、財政難などに苦しめられた二本松藩ですが、領民に対してあるべき藩士の姿を諭しているのですね。

 

爾俸爾禄 民膏民脂

下民易虐 上天難欺

寛延己巳之年春三月

お前たち藩士の俸禄は、領民の汗と脂の結晶なのだ。常に感謝をし領民を労わるべきだろう。これに反して領民を苦しめるようなことがあれば、必ずや天の怒りに触れるだろう。

日本三井戸のひとつ【日影の井戸】

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二本松城本丸のすぐそばにあり、千葉県印西市にある【月影の井戸】、神奈川県鎌倉市にある【星影の井戸】と並び称される日本三井戸の一つに数えられています。

井戸が掘られたのは室町時代の応永年間だとされていますから、二本松城を本格築城した畠山満泰の頃には、すでに存在していたということになりますね。

井戸の深さは約16メートル、そこからさらに山の岩盤をえぐって北へ14メートル達していますから、相当な大工事だったことがわかります。

新しく復元整備された見事な石垣【本丸跡】

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戊辰戦争の終結とともに、二本松城は荒廃し、本丸にあった石垣群も破壊されたままになっていました。

しかし平成に入ってからの発掘・学術調査の結果、本丸跡には慶長年間~江戸時代後期に至るまでの、様々な年代の石垣が発掘されました。言い換えれば蒲生氏時代から丹羽氏時代にかけての石垣が眠っていたわけですね。

二本松城の石垣の造りは、当時多くの城郭の石垣工事を手掛けた近江の穴太衆の手によるものだったそうです。1995年の本丸石垣復元工事の際にも、穴太衆の末裔である粟田建設が工事を請け負われたそうですね。

現在の本丸跡から一望できる眺望は素晴らしいもので、遠くに安達太良山の山並みが望めますし、山や木々と一体になったように見える市街地も美しいです。

二本松城へ来たのなら、本丸まで登ってみることをおすすめしますね。

「うつくしまふくしま」が誇る名城

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筆者が感じるだけなのかも知れませんが、福島県には素晴らしい城郭がたくさんありますね。会津若松城(鶴ヶ城)をはじめ、白河小峰城や二本松城もそうです。様々な歴史があり、美しい福島県にふさわしい城郭の数々を、機会があればぜひ訪ねてみて頂けたらと思います。

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明石則実