日本の識字率アップに貢献した寺子屋の師匠
これも時代劇などでよくあるパターンなのですが、庶民層を相手にした寺子屋を開く者も多かったそうです。当時は教員免許もありませんし、誰でも教師になることは可能でしたが、それ相応の知識が必要になるため浪人には適した職業だったといえるでしょう。
庶民のための公的な教育機関がないにも関わらず、江戸時代の日本の識字率(読み書きできる人の割合)は世界でもトップクラスでした。なぜなら下級武士や町人、農民までもがこぞって寺子屋へ通ったからです。
貧乏な庶民には高い授業料は払えません。しかし寺子屋で受講する人数が多ければ多いほど、人数割りで授業料は安くなりますよね。それに寺子屋の教師でもある浪人は、いずれはどこかへの仕官を望む者が多かったため、授業料の金額に関しては度外視する傾向にありました。
武士の身分を捨てて庶民に
江戸時代の身分制からいって、武士の身分を捨てなければ基本的に農工商の仕事はできません。武士という身分にしがみついても生きていけない浪人たちにとって、暮らしていけないのであれば武士身分を捨てることも選択肢の一つでした。
それにも増して仮に仕官できたとしても、旗本・御家人クラスの家来になるくらいでは、今とさほど生活レベルが変わらず苦しい状況に変化はありません。
ならばいっそのこと庶民となって、大店に奉公に出かけたり、職を身に付けるなりして暮らした方が将来への展望は開けるわけです。
とはいえ江戸時代中期ともなれば、れっきとした中・下級武士たちの多くが経済的に困窮し、内職をしなければ食べていけないほどでしたから、武士身分を捨てることへの抵抗はさほど無かったのではないでしょうか。
改易はいわば大量リストラ
こうして考えてみると、藩の改易とはいわば組織丸ごとの大量リストラと表現しても差し支えないでしょう。しかしその厳しさは現代の比ではなく、将来の先行きが一切見えなくなるほどの災難だったのです。それでも人間は生きねばなりません。そんな江戸リーマンたちの強さを、そしてしぶとさを見習いたいものですよね。