フランスブルボン朝ヨーロッパの歴史

最愛王ルイ15世の公妾「ポンパドゥール夫人」を元予備校講師がわかりやすく解説

ルイ15世の公妾となる

ルイ15世は20代の中ころから公妾を持つようになりました。ルイ15世の治世前半に寵愛を受けたのはマイイ家の姉妹達でした。中でも末娘のマリー=アンヌはシャトールー公爵夫人の称号を与えられ寵愛を一身に受ける存在となります。

1744年、シャトールー公爵夫人が死去すると、ルイ15世は悲嘆にくれました。シャトールー公爵夫人の死の翌年、ルイ15世はジャンヌ=アントワネット=ポワソンと仮面舞踏会で出会います

類まれな美貌であるだけではなく、知性や教養を兼ね備えたジャンヌはたちまち国王の心をとりこにしました。ルイ15世はジャンヌにポンパドゥール侯爵夫人の称号を与え公妾としました。

ポンパドゥール夫人が民間のブルジョワ出身だったこともあり、宮廷貴族などから非難を浴びますが、ルイ15世のポンパドゥール夫人へ寵愛は変わりません。

ポンパドゥール夫人の芸術支援活動とセーヴル焼き

公妾となったポンパドゥール夫人はヴェルサイユ宮殿に住みます。彼女は単なる愛人にとどまらず、公私にわたって国王の相談役を勤めました。ルイ15世は愛するポンパドゥール夫人のために、数多くの邸宅をたてます。

現在、フランス大統領官邸となっているエリゼ宮は、ルイ15世がポンパドゥール夫人に邸宅として与えたものでした。

ポンパドゥール夫人は豊富な資金を使い、芸術家達のパトロンとなります。ポンパドゥール夫人のパトロン活動はロココ美術に対し、大きな影響を与えました。

ポンパドゥール夫人が資金を出して成立したものの一つにセーヴル焼きがあります。セーヴル焼きは磁器で、釉薬を使った美しい絵柄で知られました。中でも、「国王の青(ブリュ=ド=ロワ)」や「ポンパドゥールの薔薇色」はセーヴル焼きの色の中でも特に珍重されます。

ボンパドゥール夫人のファッション

ブルジョワ階級という、資産はあっても平民の出身だったジャンヌがポンパドゥール侯爵夫人の称号を受けたことはパリの宮廷貴族たちに衝撃を与えます。

宮廷入りしたポンパッドゥール夫人は、豪華ではあるものの、新鮮さにかけるファッションに覆われていたパリの宮廷に、新しい風を吹き込みました。

当時、パリの市内ではやっていたパステルカラーを大胆に取り入れ、袖口のレースや、何段も重ねるリボンなど「可愛らしさ」重視の彼女のファッションは「=ラ=ポンパドゥール(ポンパドゥール風)」として一世を風靡します。

中でも、彼女の髪型は現代でも愛好されていますね。前髪をふんわりとアップさせ、おでこを見せるポンパドゥールヘアは、男女問わず愛されます。これまでの常識にとらわれず、新しい価値観を提供したポンパドゥール夫人は、当時の人から見てとても魅力的な女性だったことでしょう。

ヨーロッパを驚愕させた「外交革命」とマリーアントワネットの結婚

1740年に起きたオーストリア継承戦争で、フランスはプロイセンとともにオーストリアと戦いました。オーストリアの女帝マリア=テレジアは、オーストリア継承戦争で奪われたシュレジェン地方奪還のため、プロイセンを包囲する外交をすすめます。

マリア=テレジアはプロイセン打倒のため、オーストリア=ハプスブルク家にとって歴史的な敵国であるブルボン朝フランスとの同盟を画策しました。1756年、オーストリアとフランスの間で同盟が成立します。この「外交革命」は、ヨーロッパ中を驚愕させました。

マリア=テレジアと同盟したポンパドゥール夫人、ロシアのエリザヴェータ女帝がいずれも女性だったため、「3枚のペチコート」といわれます。マリア=テレジアは同盟の絆を固めるため、末娘のマリーアントワネットをルイ16世の后としてフランスに送り込みました。

ルイ15世がポンパドゥール夫人のために作らせ、マリーアントワネットが使用したプチトリアノン宮殿

広大なヴェルサイユ宮殿の庭園の一角に「プチトリアノン」宮殿があります。プチは、フランス語で小さいという意味なので、小トリアノン宮殿とも表記されますね。

1762年、ルイ15世がポンパドゥールのためにヴェルサイユ宮殿の庭園の一角を使ってプチトリアノン宮殿を立てさせます。設計者はアンジュ=ジャック=ガブリエルでした。外装は新古典主義、内装はロココ様式の建物でロココ様式の最高峰とも評されます。

ところが、この宮殿ができあがる前にポンパドゥール夫人が亡くなってしまいました。プチトリアノン宮殿の主は次の公妾となったデュ=バリー夫人となります。

ルイ15世の死後に即位したルイ16は、プチトリアノン宮殿を王妃マリーアントワネットに与えました。ヴェルサイユ宮殿内にありながら、プチトリアノン宮殿だけはマリーアントワネットのプライバシーを完全に守ることができたため、彼女はこの宮殿をことのほか愛したといいます。

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