J・R・R・トールキンの『指輪物語』を解説!善と悪の狭間で人間は誘惑に勝てるのか?
4.指輪の誘惑による影響
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手にした者の人格により、指輪の誘惑は「堕落、関心、信念」に変化します。「指輪をはめたものは、指輪の影響を受け、最後には支配される。」というのが、「一つの指輪」の最大の魔力なのです。誰もが持っている欲により、高潔な人生を送ることの難しさを読みとるのもこの物語の魅力でしょう。ここでは、指輪に一番密接にあり心を蝕まれるフロド、完全に支配されてしまったゴクリ、指輪に支配されないサムの3人の差を見てみましょう。
4-1フロドの場合
フロドは指輪の運び手で、誰よりも指輪と関わります。しかも、指輪を利用してしまい、堕落するのです。最初に指輪を使ったのは、誰かが指輪をすり替えてないかを試すために純粋な心ではめてしまう、欲とは関係ないものでした。
黒の乗手と戦うブリー宿と風見が丘では、指輪の誘惑に負けはめてしまいます。サウロンの力により指輪をはめてしまい「絶対に嫌だ」と叫ぶシーンでは、フロドの気持ちが善か悪か分かりません。
最後に指輪は、フロドの心も支配します。滅びの山で炎を前に「指輪は私の物だ!」といい、指輪をはめ姿を消すシーンでは完全に堕落します。その後、ゴクリに指を噛み切られ、ゴクリは喜びのあまり足を踏み外し炎の中に身を投じ指輪は滅びますが、フロドがもう少し長く指輪と関われば、間違いなく第2のゴクリになっていたでしょう。フロドは、己の限界以上の責任を果たさなければならなかった、指輪の誘惑の犠牲者でもあります。
4-2ゴクリの場合
完全に指輪の魔力に堕落させられた、みじめな生き物として登場するのがゴクリです。「一つの指輪」を自分の物と疑わず、指輪を取り戻すことだけを考え人格が完全に崩壊しています。ガンダルフの話の中で、スメアゴル(ゴクリ)が親友のデアゴルを殺し指輪の持ち主になったという話からは、「指輪の危険性は計り知れない」ことを思い知らされます。
4-3サムの場合
『二つの塔』の中でフロドが死んだと思い、指輪を破壊する継承者は自分しかないと思い手にしたのです。でも、フロドが生きていると知ると、指輪を所有する権利を放棄し彼を救うことに専念します。サムは、己の分を心得ており、指輪の魔力に屈する自分を律することができる人物だったため救われたのです。
サムの指輪に犯されない人物像は、高潔で意志の強い人間は、悪の力をも排除することを読者に見せています。己の限界を知っているものは、「自分自身であること」を大切にするため欲望に打ち勝てるということです。
5.満足感が人を幸せにする
『指輪物語』は、ホビット村の平和と安らぎと美しさを連想することで、読者を幸せな気分にしてくれます。トールキン自身も、暮らすにはとりわけ素晴らしい場所だと語っており、住んでみたいと望む読者も多いのでは?ここでは、トールキンが物語の中で語る幸せのあり方について検証してみましょう。
5-1日常の素朴さが幸せの鍵
トールキンは、素朴な日常に対する満足感と幸福には関連性があると考えています。美しい環境の中、歌を歌い、冗談をいい合い、好きなものを飲み食いするなど、素朴なものに喜びを見出すホビットの暮らしそのものがトールキンのいう幸せです。
ホビット族以外では、賢明で洗練された生活を送るエルフ族も素朴なものを好み幸せな生活を送っていました。日の出や日の入りの美しい時間を満喫したり、ヒーリングに満ちた林の中を散歩するのも素朴な幸せでしょう。