美しき女王との出会い、そして暗殺まで
ジャン=レオン・ジェローム – ウォルターズ美術館: Home page Info about artwork, パブリック・ドメイン, リンクによる
エジプトに渡ったカエサルは、そこで絶世の美女・クレオパトラと出会い、彼女に協力することとなります。同時に恋愛関係になった2人でしたが、ローマに戻り終身独裁官となった彼を待ち受けていたのは、彼が帝政へと突き進むことを危惧した共和政の過激派たちでした。思わぬ暗殺者を前に、カエサルは倒れることとなります。
絶世の美女・クレオパトラとの出会い
カエサルを出迎えたのは、エジプトの女王・クレオパトラでした。彼女は共同統治していた弟プトレマイオス13世に対抗するために彼の協力を仰ぎ、彼らは協力してそれを打倒したのです。と同時に、2人は恋愛関係となり、カエサルは実質上のエジプトの支配者となったのでした。
その後、カエサルはポントス(黒海南岸)のファルナケス2世との戦いに勝利し、「来た、見た、勝った」という有名な戦勝報告をしています。
絶世の美女・クレオパトラまでも魅了したカエサルですが、実はそれほど美男ではなかったそうです。当時のローマ美男子の条件は「細身で優男」だったのですが、彼は長身で堂々たる体躯をしており、頭髪が薄いことを気にしていたそうですよ。そのため、月桂冠を被る特権を得たときはとても喜んだとか。
しかし、彼には愛人が絶えることはありませんでした。しかもみな人妻や美女ばかり。なぜそんなに彼は女性にモテたのでしょうか。
なぜそんなに女性にモテたのか?
先に述べたように、愛人からの手紙を会議中に受け取るほど、カエサルはもてました。しかもその相手は美女ぞろいでなおかつ人妻が大半だったというのですから、驚きですよね。元老院議員の3分の1が彼に妻を寝取られていたという伝説まであります。
また、これだけ多くの女性と浮名を流しているというのに、別れ際の修羅場というのもなかったようですよ。というのも彼は借金王でもありましたが、そのお金を愛人のためにも使っていたからです。
髪の毛が薄いことを気にしていたカエサルですが、女性たちにとってはそんなことは気にならないほど、彼は魅力的だったのでしょうね。実際、彼がローマに凱旋する際には、人々は「妻を隠せ、ハゲの女たらしのお通りだ!」と喝采を叫んだとか。
終身独裁官への就任
エジプトを手中に収めたカエサルは、ポンペイウス一派の残党を一掃し、ローマ内戦を終結させました。そして前44年、ついに終身独裁官に就任したのです。独裁官(ディクタトル)は国家の非常事態に1人だけ任命されるもので、強大な権限を有していました。その役職に終身で就くということは、ほとんど皇帝になったのと同じことだったのです。
彼に心酔する民衆は熱狂しましたが、あくまで共和政ローマを重視する人々は、この事態にさらなる危機感を抱きました。そして彼らは、カエサルを排除しなければならないと相談し始めたのです。
思わぬ凶刃に倒れる
前44年3月15日、カエサルは元老院会議へ出席しようとしました。しかし、妻は「悪夢を見た」と言って彼を止めます。また、占い師も「3月15日に注意すべし」と助言していましたが、カエサルはそれを気に留めず、家を出たのです。
そして、会議場へと向かう彼に、柱の陰に潜んでいた一団が襲い掛かりました。全身に23もの傷を受け、カエサルは絶命したのです。56歳でした。
彼を暗殺した一団は、彼の独裁化に反対する人々でした。そしてその中には、カエサルが生前目をかけていた若者・ブルトゥスが含まれていたのです。
カエサルは「ブルトゥス、お前もか」と叫んだとも言われています。 ブルトゥスには2人の説があり、カエサル最愛の愛人の息子であったという説と、カエサルが最も目をかけていた腹心の男だったと言う説がありますが、いずれにせよ、その裏切りにカエサルが驚いたことは想像に難くありません。
カエサルの死後、その意志を継いだのは、大甥にして養子であるオクタヴィアヌス(アウグストゥス)でした。彼は帝政を創始し、以後約400年に渡って続くローマ帝国の礎を築くのです。カエサルの偉業あってこそ、ローマ帝国は創始されたと言えるでしょう。
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「皇帝」の語源にまでなった名前
カエサルがいかに偉大だったかは、後世、彼の名前「Caesar」が「皇帝」を指す言葉に由来したことでもわかります。ドイツ語で「カイザー」、スラヴ語で「ツァーリ」…両方とも、カエサルに語源を持つそうですよ。彼が皇帝になることを望んでいたかどうかは、彼にしかわからないことですが、そのずば抜けた能力は、やはり皇帝であってこそさらに輝いたのかもしれません。