イタリアヨーロッパの歴史古代ローマ

なぜ殺された?人類史上最高クラスの偉人「ユリウス・カエサル」の生涯をわかりやすく解説

多額の借金をしてまで買収工作を行う

カエサルは、次に最高神祇官(じんぎかん)という名誉職を狙いました。神官長のような役職でしたが、これにつけば、さらなるステップアップができるのは既定路線だったのです。そのため、彼は私財を投げうち、多額の借金をしてまで買収工作をすすめ、ついにその職をゲットしたのでした。

と同時に、彼は得意の弁舌を生かした政敵の告発も次々に行っていました。この時、国家転覆を狙った一派による陰謀が露見し、元老院はハチの巣をつついたような大騒ぎとなりましたが、カエサルは陰謀の当事者たちの死刑に反対します。一方、キケロカトといった者たちは処刑を主張し、カエサルとは激しく対立することになりました。

愛人からのラブレターを窮地での切り札に使う

この陰謀追及のための会議の最中、カエサルは部下からひそかに手紙を受け取りました。それを見たカトは「それこそカエサルが陰謀に一枚噛んだ証拠!」と叫び、手紙を見せるように詰め寄ります。しかしカエサルは「大したものではないから」と見せようとはしません。それでもカトが手紙を見せろと言い続けると、カエサルは渋々それを差し出しました。

果たしてその手紙は…なんと、愛人からのラブレターだったのです。しかも、その愛人というのが、カトの異父姉だったというので、これには緊張した議場も大爆笑になったとか。カトは腹立たしいやら恥ずかしいやらで、「この女たらしが!」と言うことしかできず、カエサルを追及することはできなかったそうですよ。

カエサルが女性にモテたことは後に述べようと思いますが、それをこうしたピンチで利用できたことは、彼がいかに頭のまわる人物だったかがわかります。

三頭政治の開始と崩壊

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ポンペイウスクラッススと結び、カエサルは第一回三頭政治を開始しました。そして、農地法の制定ガリア平定など、次々に偉業を成し遂げていきます。しかし、クラッススの戦死に伴い三頭政治の均衡が揺らぐと、彼はポンペイウスと対決する道を選びました。そして、兵を率いてルビコン川を渡りローマに入る際、「賽は投げられた!」の名言が生まれるのです。

三頭政治の成立と農地法の制定

ヒスパニア(スペイン)の属州総督となったカエサルは、異民族を平定して功績を挙げ、前60年、ついに念願の執政官(コンスル)就任を果たします。そして、当時絶大な力を持っていた元老院に対抗するため、軍事力のあるポンペイウス、経済力のあるクラッススと結び、第一回三頭政治という形を作りました。

この時、カエサルは農地法の制定という大改革を成し遂げます。かつて、グラックス兄弟がこれを成立させようとして悲劇的な死を遂げた未完の改革でした。

大土地を所有する元老院議員などの階級に対し、中小農民救済のために土地を再分配させることなどを制定しようというものだったため、元老院からは大きな反発がありましたが、カエサルはこれを成立させ、議事録の公開なども同時に行い、民衆に開かれた政治を行っていったのです。このため、彼の民衆からの人気は絶大なものとなりました。

ガリア平定を成し遂げる

前58年、カエサルはガリア(フランス・ベルギー・スイス)の属州総督となり、この地の異民族平定戦であるガリア戦争に臨みます。ローマとの国境を度々侵し、脅威となっていた異民族に大勝利を収めたことは、彼の軍事的キャリアに文句のつけようのない輝かしい実績を残すこととなりました。また、この時の記録を「ガリア戦記」として残し、彼は著述にも優れた才能を発揮しています。

この死闘によって、カエサルに指揮された兵たちは、ローマというよりもカエサル個人に忠誠を誓うようになりました。しかしこれは、共和政ローマとは真逆の方向であり、元老院はカエサル個人の力ばかりが増大することを危惧するようになるのです。

「賽は投げられた!」ルビコン川を渡る

クラッススが戦死し、ポンペイウスの妻となっていたカエサルの娘が亡くなると、三頭政治の均衡はぐらつき始めます。ポンペイウスはカエサルと距離を置き、政敵である閥族派(元老院派)に近づいていったのです。

そして、突如としてカエサルはガリア属州総督を解任され、本国への召還命令を受けました。これはつまり、帰ってくれば殺されることを意味していたのです。

前49年、カエサルは軍を率いてルビコン川の岸辺に立ち、「賽は投げられた!」と叫びました。もう後戻りはできない、やるしかないと彼は覚悟を決めたのです。属州とローマとの境界を、軍を率いて超えることは、国家反逆と同じことでした。

ルビコン川を渡ったカエサルは、あっという間にイタリア半島を制し、ポンペイウスはエジプトに逃亡。カエサルはなおもそれを追撃し、エジプトへと入りました。

しかしすでにポンペイウスはエジプトで殺されていました。ただここで、彼は運命の出会いを果たすことになります。

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