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何がだめだった?中国最大の失政「大躍進政策」をわかりやすく解説

四害駆除運動の結果

製鉄事業とほとんど同じ時期に農作物を食い荒らすスズメなどの害虫の大量捕獲作戦が展開されていきました。

この運動によってスズメを大量に駆除。農作物の生産高は上がると思われましたが、スズメを駆除した事によってかえって農作物を食い荒らすイナゴが大量発生。農作物はほとんど食い荒らされてしまい農業生産は大打撃を被りました。

さらには製鉄事業によって農作物の生産高は思いっきり落ち込んでおり、これによって中国では未曾有の大飢饉が発生。一説には3000万の国民が餓死するという悲惨な結果に終わりました。一応、ソ連から大量のスズメが送られましたが、時すでに遅し。食物連鎖の生態バランスを完全に無視した後に農作物など作れるはずもなく国民は飢えに苦しめられる事になるのでした。

密植・深耕運動の結果

中国はこの状態の打開が求められていましたが、そんな事農業をしたことがほとんどない中国共産党の人々がわかるはずもなく、国内ではこれまでやってきた伝統的な農法も科学的知識に基づく近代農法もまったく無視した政策が行われていく事になりました。

まずコルホーズと同じように集団農場化を推し進めるために作られた人民公社でしたが、コルホーズですら大飢饉を招いたというのに人民公社がうまくいくはずもなくこれによって国民の生産意欲の減退に繋がり、農作物高の激減に拍車がかかる事になります。

また、ルイセンコの農法も植物の生産が阻害され、当然のごとくこれらの手法は全く効果を上げず凄まじいまでの凶作になりました。

大躍進政策の失敗の原因

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大躍進政策が失敗に終わった最大の原因と言えるのが政府幹部の無知によるものでした。

大躍進政策は1959年の廬山会議によって政府の重鎮であった彭徳懐が大躍進政策の問題点を指摘して改善を要求しましたが、これを毛沢東は社会主義に対する裏切りとして彭徳懐は失脚。これによって幹部の人々はたとえ文句があろうとも毛沢東に逆らえない状態となってしまったのです。

さらには、その地域で豊作となると党員が出世することを受け、農作物の生産高を大幅に水増しすることが全土で横行。

その結果、毛沢東は前年以上の徴発を命じられ、さらに農作物を農民から搾取していきしまいには農民に農作物がなくなり大飢饉を招いてしまったのです。

 毛沢東がこの政策の問題点に気付いた時にはもうすでに遅く、中国は取り返しのつかない状況へと変貌を遂げたのでした。

大躍進政策の結末と影響

大躍進政策の失敗はかつて中華人民共和国を建国したという偉大な業績がある毛沢東でも取り繕うことができず、毛沢東は1959年に政策の失敗を認め国家主席を辞任。

その後、国家主席には現実的な政策を推し進めようとしている劉少奇が就任する事になりました。大躍進政策による被害者数は飢饉の死者を含めると3500万から7000万にも上り、社会主義関連の死者としては過去最悪なものとなってしまいました。

劉少奇はこの大躍進政策を「三分の天災、七分の人災」と大躍進の原因を評価し、ここからしばらくの間中国では一部市場を開放するなど現実的な政策を推し進める事になります。

しかし、権力の回復を目指す毛沢東は大躍進政策の失敗をなきものとするために再び権力の中枢に登り詰めようと画策。そして時代は大躍進政策を超えるほどの人災である文化大革命に突入することになるのでした。

大躍進政策から学ぶこと

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現実を無視して行われたこの大躍進政策の大失敗は、皮肉にも共産主義がいかに現実離れした思想ということと、たいした知識もなく無理に理想を追い求めると取り返しのつかない悲惨な運命が待っていることを教えてくれました。

理想を追い求めることは素晴らしいことなのですが、理想で飯は食えません。理想を掲げる前にまずは現状を理解し今できる最善を尽くすことが政治にとってとても重要なのではないでしょうか。

 

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