中国の歴史中華人民共和国

何がだめだった?中国最大の失政「大躍進政策」をわかりやすく解説

大製鉄、製鋼運動

1958年から中国では製鉄を中心とした重工業計画が立てられることになります。なぜに製鉄を重視したのかというとイギリスなどでは製鉄が発展したからというとんでもなく安直なもの。鉄を作ってそれを輸出すればお金が入ってくるとでも思ったのでしょうね。

しかし、指導者には製鉄の知識なんて皆無に等しく、全て行き当たりばったりの計画しか立てられないようなものでした。さらに、鉄を作ろうにも鉄を作るための製鉄所もなければ溶鉱炉もないような惨状でした。

しかし、毛沢東の命令は絶対。果たして製鉄の事業は上手くいくのでしょうか?

四害駆除運動

重工業は製鉄によってなんとかするつもりでしたが、農業をどうにかしなければ億単位の人口を誇る中国では一気に飢饉が起こってしまいます。そのため、農業に関する政策も行わなければならない状態となりましたが、その時に毛沢東が支持したのが四害駆除運動でした。

これは『農作物に影響を及ぼすハエ、カ、ネズミ、スズメを大量に捕獲して農作物の生産を高めていこう!』というもので害虫の完全なる駆除を目的としたものでした。

しかし、害あるものでも益をもたらすことが多い中、そんな政策がうまくいくのでしょうかね?

密植・深耕運動

農業に関する政策は害虫を駆除するだけではありません。さらに政府は根本的なところを改革しようと農法についても政策が施されていきます。

その時にお手本となったのがソ連のやり方。ソ連ではルイセンコが農法についてまとめ上げさまざな農法を立案。さらにソ連国内ではコルホーズと呼ばれる集団農場が営まれていたのです。

中国はそのやり方を真似て中国国内に人民公社を設立。人民公社を中心に集団的に農業を行う方式に変更し、効率的な農作物の生産を行うことになったのです。

さらに、同じ種類の種はお互いの成長を阻害しないとして過度な密植が行われ、さらに穴が深ければ深いほど根が生えて強い作物が取れるという理論から2メートル以上の深さに種を埋めるいわゆるルイセンコ農法が採用されることになりました。

しかし、この頃になるとメンデルの遺伝法則が判明しており、その方法は西洋諸国では逆効果となる声も上がっています。果たしてその方法で農作物の生産高は上昇するのでしょうか?

大躍進政策の成果

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この大躍進政策は社会主義に基づいた計画経済で行われていく事になるのですが、残念なことにこの大躍進政策は全て思っていたのとは真逆の展開となっていきます。

大製鉄、製鋼運動の成果

1958年10月から始まったこの運動でしたが、この計画がうまくいくとは到底思えないようなものでした。まず、鉄を作るためにはそれに応じた技術者や設備が必要となっていますが、技術があるソ連と仲が悪くなっていたため、ソ連から優秀な技術者を呼び込むことができず、中国国内には金属工学の専門家もそれに適した設備もなく原材料も満足に確保できない状況にあったのです。

しかし、毛沢東が鉄を作れと言ったのですから鉄を作らなければなりません。そのため中国国内にはこの時の中国が作ることができる原始的な溶鉱炉を用いた製鉄が全国の都市、農村で展開される事になります。

しかし、溶鉱炉を作るためには鉄を溶かすだけの温度に耐えれる耐火煉瓦が必要となっていきますが、中国に耐火煉瓦は皆無に等しく、肝心の煉瓦が供給不足という事態に追い込まれました。仕方なく中国では煉瓦製の塔や寺院、城壁など、全土で多数の歴史的建造物が土法炉建設用の煉瓦採取の目的で破壊される事になりました。これによって中国の4000年の歴史と呼ばれている文化財は一気に消え去る事になります。

さらに中国の問題はそれだけではありません。中国はイギリスやアメリカに比べ電化が遅れていたことから、ほとんどの地方では木炭を燃料としていました。

そのため鉄鉱石の還元作業に木炭を使用することになり全土で樹木の大規模な伐採が開始されることに。これによって国内の木という木が木炭として使われることになりました。

さらに極めつけには鉄鉱石も供給不足の状態であり、多くの地方では砂鉄の入手すら困難な状況にありました。

そのため都市部の場合だと鉄製のありとあらゆるものが解体され、各家庭の鉄製の農機具・炊事用具を供出し、これらの供出された屑鉄を土法炉に投入するというとんでもない状況となったのです。

大混乱の末に

この製鉄事業によって作られた鉄の量は総勢1117万トンでしたが、このうちなんとか使うことができる鉄は40パーセント。残りの60パーセントは全く使い物にならないまるで鉄みたいなものでした。つまり約600トンはゴミにしかならないのです。

しかし、毛沢東に逆らったら何が起こるかわかったもんじゃありません。幹部たちはこの作戦が大失敗に終わることを薄々感じながらも鉄の増産計画に従って生産を続けたためただでさえ多大な被害を被っている製鉄事業がさらに悪化。さらには肝心の鉄の使い道や生産などを全く考慮していなかった事によって現在でも影響を及ぼすほどの大混乱を生む事になります。

例えば、この時の製鉄事業により大量の木材が伐採されたため本来洪水から守る役目を果たしていた森林は無くなりその結果山はハゲ山となってしまいました。

その結果今でも中華人民共和国では毎年洪水が発生しており、さらには農民が使っていた農具なども製鉄に使われてしまったために地域の農業や生活が崩壊。農作物の生産はガタ落ちするまさしく泣きっ面に蜂な結果に終わってしまいました。

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