息子・豊久への愛情あふれる逸話
家久の武勇を受け継いだのは、息子の豊久(とよひさ)でした。
家久が単なる剛毅な武将というだけではなく、父としての愛情にもあふれていたことがわかる逸話をご紹介しましょう。
沖田畷の戦いの際、家久は豊久の兜の緒を自らきつく締めてやり、端を切り落としてほどけないようにしました。
そして、
「たとえ討死しても、敵はお前が兜を外さない覚悟だと知り、賞賛するだろう。生きて戻ったならば、私がその兜を外してやる。必ず生き延びて戻ってくるのだぞ」
と言ったそうです。
果たして、豊久は無事に生還しました。しかもその手には敵の首を携えていたのです。
家久は笑い、息子の兜を外してやったとか。
この豊久は、関ヶ原の戦いで義弘を守って戦い、壮絶な退却劇で後に有名となる「島津の退き口(しまづののきぐち)」の立役者となります。
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島津家久なくして島津の躍進なし
実は、島津家久は2人います。次兄・義弘の息子で家久の甥に当たる島津忠恒(しまづただつね)は、後に改名して家久と名乗りました。薩摩藩の藩政基盤を整備し、為政者としては有能でしたが、正室につらく当たるなど冷酷な一面も持ち、今回ご紹介した家久とはまた違った人物です。武の道に邁進し、兄を支えて戦い続けた家久は、島津一の勇将だったといっても過言ではないと思います。