ドイツヨーロッパの歴史

多くの歌曲や未完成交響曲などを残した「シューベルト」を元予備校講師がわかりやすく解説

リートの傑作「魔王」

シューベルトの作品で知っているものはありますか?と質問されると、最も上がってくる可能性が高い作品が「魔王」です。

ドイツの偉大な詩人であるゲーテの詩にシューベルトが触発されて短期間のうちに作成された曲。一説によると、「魔王」の作曲は4時間程度だったともいわれています。

あれだけ印象深い曲を、たった4時間で書き上げた18歳のシューベルトは天才の名に恥じない青年だったといえるでしょう。

「魔王」を寄宿舎学校で演奏した時は賛否両論が巻き起こったといいます。作詞者であるゲーテもシューベルトの「魔王」を理解できなかったのか、否定的な評価を下しました。

しかし、1821年にケルントナートーア劇場で開かれた演奏会は大好評。一般向けの楽譜が発表されると瞬く間に売れたといいます。これにより、貧しいシューベルトは一息つくことができました。

交響曲「未完成」

シューベルトは生涯に13の交響曲を作曲していますが、交響曲第7番は「未完成」の名でよく知られています。

シューベルトが「未完成」を作曲したのは1822年のこと。亡くなる6年ほど前ですね。そもそもは、グラーツ音楽協会から「名誉ディプロマ」の称号を授与されたことへの返礼として作曲された曲でした。

シューベルトは第一楽章と第二楽章をグラーツ音楽協会に贈った後、なぜか、この作品の作曲を中断。結局、亡くなるまでにこの曲を完成させることはありませんでした。

今となっては中断の理由は定かではありません。ただ、多作なシューベルトは作成途中の作品を完成させないまま放置することが珍しくありませんでした。

この「未完成」も、何らかの意図があったわけではなく「いつものように」中断し、たまたま、中断したまま亡くなってしまったのかもしれません。

ピアノ五重奏曲第四楽章「鱒」

シューベルトがピアノ五重奏曲を作曲したのは1819年。シューベルトがまだ22歳の時でした。若く、律動的で活力に満ちた時代の作品ですね。

シューベルトは多くの作品を世に送り出しましたが、ピアノ五重奏曲を作曲したのはこの時期だけ。中でももっとも有名なのが第四楽章の『鱒』です。

『鱒』のメロディーは伸びやかで、軽やかさを感じさせます。ピアノ五重奏曲の作曲を依頼したのは裕福な鉱山技師でチェロ愛好家のパウムガルトナー。北オーストリアのシュターアー地方を旅行した時に依頼されます。

水の中を泳ぎ回る鱒や釣り人を冷ややかに見る主人公。鱒に感情移入していた主人公は鱒が釣られる様子を見てちょっと怒ってしまいます。「鱒」はそんな様子を軽やかなメロディーで歌い上げるリートでもありますので、リート版の『鱒』を聞くのもオススメ

亡き母親への切なる思いが込められた「子守歌」

1816年、シューベルトが19歳のころに作曲したといわれるのが「子守歌(子守唄)」です。

10代のころ、シューベルトは将来の進路について父と対立していました。安定した職についてほしいと願う父親に対し、シューベルトは音楽の道で生計を立てることを望みます。

しかし、激し対立はある時を境に終息に向かいました。きっかけは母であるマリア=エリザベート=フィーツの死です。彼女の死は父と子に大きな影響を与えたようで、父と子は和解に向かいました。

シューベルトは母のことを想い、心安らぐ優しい「子守歌」を作ったのかもしれません。この曲が日本に伝わったのは明治時代のころ。その時につけられたのが「眠れ、眠れ、母の胸に」で始まる日本語の歌詞でした。

若くして死んだ天才作曲家、生きていたらどのような曲を作ったのだろう

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シューベルトはわずか31歳でこの世を去りました。他の作曲家と比べてもあまりに短い生涯です。同じく若くしてこの世を去ったモーツァルトもそうですが、シューベルトは31歳で亡くなったとは思えないほど多くの作品を残しました。もし、彼がもっと長い寿命を与えられていたら、どのような曲を作ったのでしょうか。

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