憲法の発布
1885年に憲法制定に先立って内閣制度が成立。伊藤博文が初代内閣総理大臣となり、それについで上は、政府の法律顧問となったロエスレルやアルバート・モッセなどの助言を得て憲法の起草作業に入っていきました。
憲法は一時期泥棒によって奪われる事態もあって製作に難航しましたが、伊藤博文の別邸があった夏島で憲法の草案が作られ、明治天皇に上奏。さらに憲法制定機関である枢密院が設置。自ら議長となってこの憲法草案の審議を行いました。
そして長きにわたって審議が繰り返されてきた憲法の制定は1888年に終了。
1889年2月11日、明治天皇より大日本憲法発布の詔勅が出されるとともに大日本帝国憲法が発布されその後国民に公表された。
ちなみにこの憲法は明治天皇が当時の首相であった黒田清隆に手渡すという欽定憲法の形で発布され、日本は東アジアで初めて近代憲法を有する立憲君主国家となったのです。
大日本帝国憲法の特徴
紆余曲折あって成立した大日本帝国憲法でしたが、この大日本帝国憲法は今の日本国憲法とは全く近く性質を持っていました。
次は大日本帝国憲法の特徴について見ていきましょう。
天皇大権
大日本帝国憲法における主権は天皇もされていました。今の日本国憲法は国民に主権がありました。天皇は大日本帝国憲法第1条にて「大日本帝国は万世一系の天皇がこれを統治す」とされており、大日本帝国憲法第4条に天皇は国の元首にして、統治権を総攬すると定められていました。このことは、立法など国政を行う権限すべてを天皇が持っており、議会にはからずとも行使で切るとされ、天皇によって政治が動かされる状態となっていたのです。
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統帥権の独立
大日本帝国憲法でもう一つ重要なのが統帥権の独立でした。今の日本では自衛隊の実質的なトップは防衛大臣。その上に総理大臣がいて総理大臣や防衛大臣の下で自衛隊が指揮するというシベリアンコントロールが行われていますが、大日本帝国憲法第11条には天皇さ陸軍や海軍への統帥を行うとされており、陸海軍の組織と編制などの制度、人事と職務の決定、戦争の遂行と撤退の命令、戦略の決定、軍事作戦の立案や指揮命令などの権限が全て天皇のものに置かれていたのです。
しかし、これらの権限は天皇が直接関わることはなく、陸軍であれば陸軍大臣と参謀総長に、海軍であれば海軍大臣と軍令部総長に委ねられていました。
しかし、内閣が軍を動かせないことはのちの日本の軍部の暴走につながることになるのです。
国民の権利
日本国憲法では国民に主権があり、基本的人権は国家権力が侵すことのできない権利とされていましたが、大日本帝国憲法では国民は臣民と呼ばれてその権利は人権は天皇の恩恵であり法律の範囲内においてのみ保証されるものとされていました。
また日本国憲法では勤労の義務、と納税の義務、教育を受けさせる義務となっていますが、この憲法では兵役の義務と納税の義務がなされていました。