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ロシア帝国最後の皇帝「ニコライ2世」をわかりやすく解説

ニコライ2世の最期

こうしてロマノフ朝が倒されることになりましたが、ロシアの混乱はまだ収まることはありませんでした。ロシアでは臨時政府と労働者のソビエトの対立が激化するようになり、ロシア内戦が勃発。ニコライ2世一家はウラル地方のエカテリンブルクへ移され、イパチェフ館に監禁されるようになります。高い塀と鉄柵で覆われニコライ2世一家は外部との接触を禁じられて厳しく監視されていたが、チェコ軍が迫ってきているという情報が流れると反革命の白軍に皇帝一家が拉致されることを恐れたソビエト軍は指導者のレーニンにより一家の皆殺しの命令を出しました。

これによってニコライ2世はアレクサンドラ皇后や息子のアレクセイとともに銃殺。50年の生涯に幕を下ろしたのです。

ニコライ2世はロシアの歴史の境目を決めた

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ニコライ2世はソ連の成立の過程で銃殺されることになりましたが、ニコライ2世はその後ソ連が崩壊したあとは名誉が回復されロシア正教会から聖人認定を受けています。

ニコライ2世はロシアの行く末を決めた皇帝でもあったのです。

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