日本の歴史江戸時代

家康の息子「徳川秀忠」偉大なる父の影でどんな人生を送った?わかりやすく解説

家康から受け継いだ治世を強固なものに

元和9(1623)年、秀忠は隠居して大御所となり、嫡男の家光に将軍職を譲ります。父・家康の時と同様、秀忠もまた実権を握り、二元政治が行われました。それは寛永8(1631)年に彼が54歳で亡くなるまで続いたのです。

晩年には家光の弟である忠長の不品行が目に余ることとなり、庇いきれずに蟄居を命じなくてはならなくなるという悲運もありましたが、秀忠は家康から受け継いだ地盤を強固なものとし、為政者としてしっかりと実績を挙げました。

地味だが真面目に政務に取り組み、幕府の基礎を固めた名君

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武勇に優れた兄や弟たちとは対照的に、秀忠については「仁孝恭謙(じんこうきょうけん)」と伝わり、彼が仁徳にあふれ慎み深い人物だったと言及されています。また、真面目な性格は生涯変わらず、50歳を過ぎた頃に「そろそろご自由にお遊びになっては?」と言われても、「私のことは天下の人々が見ているのだから、死ぬまで慎んだとしても足りないほどだ」と答えたと言われており、彼の真面目さが江戸幕府の基盤を固めたと言ってもいいのではないかと思いますね。

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