日本の歴史

神倭伊波礼毘古こと「神武天皇」の東征伝説を元予備校講師がわかりやすく解説

神武天皇の東征

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後に神武天皇となる神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ)は天孫である瓊瓊杵尊のひ孫として生まれます。神倭伊波礼毘古は葦原中国全体をおさめるのにふさわしい土地を求めて東へと軍を進めました。東征する神倭伊波礼毘古の前に立ちはだかったのは強敵のナガスネヒコです。神剣、布都之御魂を得た神倭伊波礼毘古はナガスネヒコに勝利し、奈良県の橿原に都をおきます。

神武天皇のプロフィールと神武東征の始まり

神武天皇はウガヤフキアエズノミコトと玉依姫の子として生まれます。ウガヤフキアエズノミコトは『古事記』にも『日本書紀』にも詳しい記述がありません。母の玉依姫は海の神である綿津見(ワタツミ)の子です。

『日本書紀』では、神武天皇は神日本磐余彦天皇(カムヤマトイワレビコノスメラミコト)、『古事記』では神倭伊波礼毘古(カムヤマトイワレビコ)と表記されました。兄は五瀬命、稲飯命、三毛入野命の3人。

15歳の時に後継者とされました。45歳の時、神倭伊波礼毘古は葦原中国をおさめるために日向より適している場所はないかと兄弟たちと話し合います。

その後、神倭伊波礼毘古は大和国こそ、葦原中国を統治するのにふさわしい場所だと考え、大和国を目指して行軍を開始しました。このことを「神武東征」といいます。

ナガスネヒコとの戦いと兄の戦死

神倭伊波礼毘古の軍勢は筑紫の宇佐や安芸広島、吉備の高嶋の宮などを通過し途中で軍備を整えました。神倭伊波礼毘古の軍は浪速国に上陸し奈良盆地を目指します。

すると、奈良盆地に勢力を張っていたナガスネヒコが神倭伊波礼毘古の軍勢を迎え撃ちました。ナガスネヒコの軍は強力で、神倭伊波礼毘古は戦いに敗れてしまいます。

しかも、兄の五瀬命はナガスネヒコが放った矢にあたり重傷を負いました。五瀬命は、「日の神の子孫である我々が日没の方向から攻めたのがまずかった。東に回り込み、太陽を背にして戦わなければならない」といいます。

神倭伊波礼毘古の軍勢は南の熊野に行き、そこから奈良盆地の東方からナガスネヒコの軍に攻めかかろうとしました。その途中、紀の国で五瀬命はなくなってしまいます。

神剣、布都之御魂(フツノミタマ)

神倭伊波礼毘古の軍勢が熊野に到着した時、彼の軍勢の前に大きな熊が現れました。熊が姿を現すと、神倭伊波礼毘古の兵士たちは皆、気を失ってしまいます。

神倭伊波礼毘古は困り果ててしまいますが、熊野にいた高倉下(タカクラジ)が一振りの太刀をもって神倭伊波礼毘古のもとを訪れると、気を失っていた者たちは目を覚ましました。

高倉下によると、その太刀は夢に現れた建御雷神によって授けられたもので、神倭伊波礼毘古に献上するようにと言われたとのことです。太刀が下された背景には神倭伊波礼毘古を心配する天照大神の意向がありました。

地上で神倭伊波礼毘古が苦戦しているのを見た天照大神は、かつて出雲の国譲りで活躍した武神、建御雷神に地上に降りて神倭伊波礼毘古を助けよと命じます。

しかし、建御雷神は自ら降りず、一振りの剣を地上に下すことにしました。それが、この太刀だったのです。太刀の名は布都之御霊。太刀の力により神倭伊波礼毘古は熊野の神々に勝利します。現在、布都之御霊は石上神宮に鎮座していますよ。

八咫烏の導き

熊野を平定した神倭伊波礼毘古の軍勢は紀伊山地を越えて奈良盆地を目指します。熊野から奈良県南部の吉野に至る道は現在でもとても険しいものです。実際にこの道を進んだとしたら、相当な難行軍だったでしょう。

この難行軍を助けたのが八咫烏(ヤタガラス)です。『古事記』によると、高木神(タカミムスビ)によって派遣された八咫烏は三本の足を持ち、普通のカラスとは異なっていました。

八咫烏は神倭伊波礼毘古に紀伊から奈良盆地に抜ける道を教えます。八咫烏の導きのおかげで神倭伊波礼毘古の軍勢は奈良盆地に到達することができました。

八咫烏は奈良盆地の東にある宇陀にいた兄弟に神倭伊波礼毘古に従うかどうか尋ねます。しかし、兄のエウカシは矢を放って八咫烏を追い返しました。そればかりか、神倭伊波礼毘古に偽って降り、罠をつかって神倭伊波礼毘古を殺そうとします。

この企みは事前に露見。エウカシは自分が作った罠にかけられ、殺されました。一方、弟のオトウカシは本心から神倭伊波礼毘古に仕えます。

再戦、ナガスネヒコ

奈良盆地に達した神倭伊波礼毘古の軍勢は、再び、ナガスネヒコと対戦しました。ナガスネヒコの軍は非常に強力で、東から神倭伊波礼毘古の軍勢が攻め寄せても互角の戦いを繰り広げます。

この時、金色のトビ(霊鵄)が現れ神倭伊波礼毘古の弓の先にとまりました。すると、トビがまるで稲光のように激しく光りだします。この様子を見てナガスネヒコの軍は動揺しました。

戦いが不利となったナガスネヒコは神倭伊波礼毘古に使いを送ります。ナガスネヒコは「自分が仕える人物も天の神の子で、あなたも天の神の子を名乗っている。どちらかが偽物である以上、あなたが偽物だ」といいました。

ナガスネヒコが仕える饒速日命(ニギハヤヒノミコト)も天の神の子と称していいます。神倭伊波礼毘古と饒速日命の両方が本物の証を持っていたことから、両者とも本当に天の神の子であることがわかりました。

しかし、ナガスネヒコは神倭伊波礼毘古を天の神の子と認めません。そのため、饒速日命はナガスネヒコを殺し、神倭伊波礼毘古に降りました。

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