弥生時代日本の歴史

未だ正確な所在地が不明な弥生時代の国「邪馬台国」を元予備校講師がわかりやすく解説

邪馬台国の女王卑弥呼

三国時代についてまとめた歴史書『三国志』。このうち、魏について扱った『魏志』の中で日本について記録した部分があります。それが、『魏志倭人伝』。いよいよ、邪馬台国が登場します。

『魏志倭人伝』によると、魏によって親魏倭王に任じられた倭の女王卑弥呼は約30の国からなる連合の主として邪馬台国に住んでいました。邪馬台国では租税の取り立てや労働税である賦役が課され、人々が税としておさめた物は倉に納められます。国々では市が開かれ、一大率とよばれる役職者が市を管理しました。

邪馬台国はもともと男の王が統治していましたが争いが絶えません。そこで、一人の女性をたてて女王としました。女王の名が卑弥呼です。卑弥呼は鬼道とよばれる呪術を使い、人々の心をつかんでいました。

政治は卑弥呼の弟が中心となって行われます。卑弥呼は大きな墓に葬られ奴隷100人余りが殉死させられ一緒に埋葬されました。卑弥呼の死後、邪馬台国は争いが絶えなくなったので壱与を女王として争いをおさめます。

魏志倭人伝に見られる倭国の習俗

『魏志倭人伝』では倭国に住む人々の習俗についても触れられています。男子は冠をつけず顔や体に入れ墨を施していました。入れ墨は階級や出身国によって異なります。また、朱や丹といった赤い染料を体に塗っていました。

邪馬台国では稲作を行い、上質の絹織物を生産します。土地は(中国に比べ)温暖で、人々は裸足で過ごしていました。倭国は真珠や青玉を産出するとも述べられています。

人々の間には秩序があり、上の者の言いつけはよく守られました。身分の高いものは複数の妻をもち、寿命は長く90歳や100歳の者もいます。女性は慎み深いですが、基本的には髪を結うことはしません。

何か特別なことをするとき、人々は骨を焼いて吉凶を占いました。外国人の目から見た日本であり、誇張はあると思いますが、当時の日本を知る貴重な資料であることは間違いありません。

邪馬台国の所在地論争

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正確な場所がわかっていない邪馬台国。その真相をめぐって江戸時代から多くの学者たちが論争してきました。古くから有力視される九州説と畿内説はもちろんのこと、日本神話も踏まえた東遷説もあります。いまだに決着していない邪馬台国の所在地論争のそれぞれの説について紹介みてみましょう。

九州説

明治時代の末頃、東京帝国大学教授の白鳥庫吉と京都帝国大学教授の内藤湖南が邪馬台国の所在地について論争を繰り広げ注目を浴びました。白鳥らが主張したのが邪馬台国九州説です。

九州説を唱える学者たちは邪馬台国が支配した30カ国という国数は九州北部だけでも十分存在可能だと主張しました。その上で、邪馬台国と敵対した狗奴国は熊本(球磨)の人々だと推定します。また、『魏志倭人伝』に書かれていた環濠や宮室、楼閣などを備えていたのは吉野ケ里遺跡に他ならないと主張しました。

漢委奴国王の金印など九州北部には中国とのつながりを示す遺物も数多くあることから、九州説はそれなりに信ぴょう性を持っているといえるでしょう。

近畿説

内藤らが主張したのが邪馬台国近畿説です。近畿地方は言わずと知れた大和政権の所在地。のちに全国政権となる大和政権と邪馬台国の連続性を考慮したといえます。

近畿説では、邪馬台国は九州説よりも広い範囲を支配下に置き九州北部にかけて広い範囲を支配したと考えました。卑弥呼の墓ではないかといわれる箸墓古墳の存在や三輪山近くにある纒向遺跡が邪馬台国として有力だと主張します。

さらに、『魏志倭人伝』でも登場し、魏から卑弥呼に送られたとされる三角縁神獣鏡という鏡が近畿地方で出土していることも有力な根拠とされました。

しかし、箸墓古墳の周辺に卑弥呼と一緒に葬られた殉死者の墓などが見つかっていないことや三角縁神獣鏡が本家である中国で出土していないことなどもあって、どちらも決定打とはいえません。

東遷説

九州で成立した邪馬台国が畿内に移動したというのが邪馬台国東遷説です。日本神話によれば、初代天皇である神武天皇は九州の高千穂の峰から東に向かって兵を進め大和を制圧したとありました。

邪馬台国も同じように西から東に征服し本拠地を移動させたのではないかというのです。神武天皇と邪馬台国の関係はおくとしても、本拠地が西から東に移動したというのは興味深い考え方ですね。

もしかしたら、邪馬台国やそれに近い勢力が西から東を征服した事実があり、それをモチーフにして神武天皇の東征伝説がつくられたという可能性も考えられますね。

ただ、九州説にしても近畿説にしても東遷説にしても、いずれも決定打を欠いています。邪馬台国の所在地を明らかにするただ一つの方法は動かぬ証拠である卑弥呼の墓を発見することでしょう。

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