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地上最強の大帝国「モンゴル帝国」とは?わかりやすく解説!

元の時代

モンゴル帝国の中で主に中国やモンゴルを支配していた元。この元がモンゴル帝国を主導していく立場へとなっていきます。

元の初代皇帝となったフビライハンはお隣の国である高麗を服従させ、さらには日本にも遠征を開始。この遠征は元寇と呼ばれ失敗となる形で終わりましたが、1279年に中国南部に残存していた漢民族の国家である南宋を滅ぼすと1281年に再び日本に遠征。しかしこの遠征は途中暴風雨にあってしまい壊滅するなどいいとこ無しで失敗に終わったのです。

元の時代の文化とその遺産

元の時代にはモンゴル帝国からの制度である駅伝制や、大事業の一つであった大運河の整備などで交通網が発達したこともあり、中国と東ヨーロッパの行き来が自由になるなど商業が非常に発達した時代でもありました。モンゴル帝国によって東西の大帝国が出来たことによって、東西交流が活発化していきマルコ・ポーロなどといったのちのヨーロッパに大きな影響を与える商品も登場することになりました。

元は商業を大事にしていたこともあり、お金の流通が活発化。紙幣の一種である交鈔が流通していました。

しかし、元国内での文化は支配層がモンゴル人だったためあまり発展しませんでしたが、国内では優しい文章で書かれた元曲が流行していたそうです。

元の滅亡とモンゴル帝国の崩壊

こうしてモンゴル帝国の跡を継いだ元でしたが、元は非常に皇帝の座が不安定なものでフビライハンが崩御すると皇帝の母や外戚などが激しい権力闘争に明け暮れていました。

さらにモンゴル帝国の最大の弱点である農耕社会が未発達だったことも相まって権力闘争の末に農村は荒廃。モンゴル人に支配されることに不満を抱いた漢民族は度々蜂起を起こしていき、特に白蓮教の信者たちが起こした紅巾の乱はやがて朱元璋によって華南が奪い取られ、南京にて明が成立。その後朱元璋は北伐を開始して中国北部の地域も支配下に置きました。

こうしてモンゴル帝国時代から行われていたモンゴル人による中国支配の歴史は終わり、元はモンゴルに落ち延び北元として細々と運営していくことになりました。

こうして長きに渡ったモンゴル帝国は実質的に崩壊することになったのです。

モンゴル帝国は古き良き遺産であった

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モンゴル帝国はこうして残念ながら滅亡してしまいましたが、今でもモンゴルではモンゴル帝国のことを誇りに思っており、創始者であるチンギスハンは神様と同じ形であがめられています。

モンゴル帝国はモンゴル民族の誇りだったのですね。

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