イタリアの領土拡大
ムッソリーニが掲げた最終目標はイタリアにかつてあったヨーロッパ最強国家であるローマ帝国の復興。ムッソリーニはこの目標を達成するためにこの頃から領土拡大に野心を燃やすことになります。1924年には現クロアチアのフィウメを併合し未回収のイタリアと呼ばれていた地域をほとんど併合。1926年にはアルバニアを保護国化として勢力を拡大。
この領土拡大によってイタリアにおける国力の回復をうたったのですが、これが逆にイタリアを苦しめる結果となっていくことにもつながっていきました。
カトリック教会との和解
イタリア半島はローマ帝国以降統一した国家はなく、教皇領と呼ばれるローマ教会が所有していた土地を含めて様々な王国がばっこしているような地域でした。なんとか19世紀に統一したのですが、統一した際にこの教皇領も強引に併合したことによってイタリア政府とローマ教会は非常に険悪なムードとなっていました。
ムッソリーニはこの状態をなんとかするべくローマ教会との交渉を開始。元々彼は共産主義者であったため無神論者でしたが、その甲斐もあってか1929年にラテラノ条約が締結。
ヴァチカン地域をバチカン市国として独立国家として認めることを承認し、ローマ教会とイタリア政府の長きに渡る対立に終止符を打ったのでした。
エチオピア侵攻と国連脱退
ムッソリーニは国内の問題をどんどん解決していきましたが、領土的野心は治ることはなく1935年に入るとアフリカのエチオピアに侵攻を開始。翌年にエチオピアの首都であるアジスアベバを占領し併合。ローマ帝国の復興の第一歩を踏み出しましたが、これに待ったをかけたのが国際連盟。国際連盟はイタリアによるエチオピア侵攻を非難して経済制裁に突入。その反動もありイタリアは翌年に国際連盟を脱退。元々イタリアは国際連盟の常任理事国でしたが、この結果イタリアは国際的にも孤立することになったのです。
ちなみに、同じく国際連盟の常任理事国であった日本も5年前に満州に侵攻してその結果国際連盟を脱退していましたので、この結果国際連盟は一気に弱体化することになりました。
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枢軸国の結成
国際的にも孤立し始めたイタリアですが、1936年にスペイン内戦が起こりファシスト党側のフランコ将軍の軍事支援を表明すると、同じくファシスト政権を樹立していたヒトラーと一気に接近することになりました。
実はムッソリーニはオーストリアに関する問題や人種差別に対する疑問などによってヒトラーとは対立関係にあったのですが、エチオピア侵攻やスペイン内戦で国際的にも孤立したことによって同じような体制であったヒトラーとの関係強化を実行。1936年10月には『イタリアとドイツがヨーロッパや世界の中心となる』という意味を込めてベルリン=ローマ枢軸が成立。
のちに日独伊三国同盟によって日本も参加するとこの三国は第二次世界大戦で枢軸国と呼ばれることになりました。
その後も1938年にドイツがチェコスロバキアに対してズデーテン地方割譲要求がなされた時にはイギリス・フランスとドイツとの関係を取り持ってミュンヘン会談にこぎつけドイツの要求を呑ませるなどドイツの支援を徹底して行っていきドイツとの関係を深めていきました。
さらに、同じ年に保護国化していたアルバニアを併合したこともあり、イギリスとの対立関係が徐々に深刻化していくことにもなったのです。
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第二次世界大戦の参戦と敗北
1939年9月同盟国であったドイツがポーランドに侵攻したことによって第二次世界大戦が勃発することになりましたが、ムッソリーニはこの戦争に関してはかなり慎重な体制を取っていました。
ムッソリーニはイタリアにおける資源の少なさとイギリスとの国力の差から戦争することは不可能だと薄々感じており、イタリアはドイツからの参戦要請があっても中立を貫き通していましたが、ドイツが1940年にフランスを電撃戦によって大勝利を収めると国内における参戦派の勢いが強くなっていき、これに押されたムッソリーニは1940年6月にイギリスとフランスに宣戦布告。
しかし、ムッソリーニが感じていた通り、戦争はうまくいくはずもなく北アフリカにおける補給の欠如などもあって北アフリカ戦線は壊滅。この結果イタリアでは戦争反対ムードがではじめムッソリーニはここから一気に転落することになるのでした。
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イタリア上陸と失脚
1941年からの独ソ戦でドイツは破竹の勢いを見せていましたが、1943年から停滞の一途を見せ始めることになります。ムッソリーニはこの時点でさっさとソ連と講和を結んでイギリスとの決戦に挑んで欲しいとヒトラーと交渉することを通達したのですが、ソ連の打倒こそナチスの悲願だと考えていたヒトラーにこのことが通じるはずなく、同盟関係はほとんど破綻状態に陥ってしまいました。
そして1943年中盤に入るとイギリスとアメリカによるイタリア上陸作戦(ハスキー作戦)が敢行。
イタリアはなすすべも無く破れイタリア本土が占領。ムッソリーニは失脚に追い込まれ幽閉に追い込まれてしまいます。
ドイツはその後ムッソリーニを助けイタリア北部に傀儡国家を樹立するのですが1945年にドイツと降伏すると共産主義のパルチザンに逮捕され1945年4月に愛人と共に銃殺されました。