6)平安時代の貴族たちはどんな勉強をしていた?
平安時代、読み書きができたのは貴族たちだけだったと考えられています。読み書きの学習は「手習(てならい)」とも呼ばれ、上流階級のたしなみのひとつだったのです。現代でも使用されるひらがなや片仮名は、奈良時代から平安時代にかけて確立したといわれています。この時代、漢字・漢詩文が公的な文学だったようです。
飛鳥時代以降、日本は律令と呼ばれる法律をもとにした国づくりを目指していました。そのためには、学問に精通した人材育成が不可欠。そこで古くから、寺院などを中心に様々な教育機関が設置されていました。平安時代には、貴族の家に生まれた男子は学校(大学寮)に通い、簡単な読み書きの他に漢文や数学、歴史学などを学習。中には音楽や舞踊、易学(陰陽道)、医学などを学ぶ学科もあったそうです。
7)平安時代に書かれた本とは?
平安時代に書かれた文学として有名なものといえば、まず『伊勢物語(いせものがたり)』が挙げられます。在原業平(ありわらのなりひら)という人物がモデルとされる短編和歌集です。和歌集といえば『古今和歌集(こきんわかしゅう)』も忘れてはなりません。1100首もの歌がおさめられている日本最古の勅撰和歌集で、913年頃成立しています。平安時代にはこのほかにも数多くの和歌集が編纂されました。
和歌集以外では、紀貫之の『土佐日記』や藤原道綱母の『蜻蛉日記(かげろうにっき)』など、日々の暮らしを仮名文字中心で綴った日記形式の作品も。そして平安中期に入ると、清少納言による『枕草子』や紫式部の『源氏物語』など、長編で優れた文学作品が登場します。特に『源氏物語』は世界最古の長編小説ともいわれ、海外の評価も高い。日本文学における最高傑作と称されることも多いそうです。
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8)平安時代の貴族たちの遊びとは?
平安時代の貴族たちはアクティブで宴会好きだったようです。
まず「小弓(こゆみ)」と呼ばれる、射的遊びのようなものが流行します。室内で行う遊びで、小さな弓矢を使い、ぶら下げた的を射るというもの。老若男女問わず、多くの人が楽しんでいたといわれています。室内での遊びとしては、「碁(ご)」や「物合(ものあわせ)」など、現代のカードやボードゲームのようなものありました。
平安貴族といえば忘れてはならないのが「蹴鞠(けまり)」。サッカーのリフティングのような遊びで、地面に落とさず鞠を何回蹴ることができるかを競うものです。蹴鞠は社交の場にも用いられており、競技会なども催されていたとか。さらに、馬に乗って鞠を棒ですくい取ってゴールに投げ入れる、「打毬(だきゅう)」というポロのような競技も行われていました。
9)平安時代の建築とは?
残念かな、木造建築の儚いところ。平安初期やそれ以前の時代の建造物はほとんど残っていません。平安京に限ったことではありませんが、日本の建造物はたびたび大火や災害に見舞われ、街全体が焼失・全壊することも珍しくありませんでした。現存するものも、長い歳月の中、補修や改築を繰り返してきたもの。ただ、残されている建造物から、平安当時の建物の様子を知ることは可能です。
平安時代の貴族たちの様子を描いた絵巻物には、長い廊下でつながれた、いくつも部屋が連なった広い邸宅が描かれていることがあります。これは一般に「寝殿造」と呼ばれる建築様式。平安時代の高貴な身分の貴族たちはこうした造りの邸宅で暮らしていたと考えられています。
「寝殿」という言葉が使われているとおり、敷地の中央に家主が住むための「寝殿(主殿)」を設け、そこを中心に各部屋や廊下が配置されるという構造。平安中期頃が最盛期で、左右対称(東西対称)の豪華な造りのものが建てられていたそうですが、平安後期になると徐々に簡略化され、変化していったとみられています。