日本の歴史江戸時代

5分でわかる百姓一揆の真実ー原因は?打ちこわしとの違いは?わかりやすく解説

4-3.なぜ富裕商人だけが狙われた?

百姓一揆や打ちこわしの根本的な原因となるものは、いわば幕府や藩の失政ということになります。本来なら為政者側に批判が向いてもおかしくないのですが、なぜ人々の批判の目は富裕商人たちへ向かったのでしょうか。

ここで幕府が連綿と民衆を洗脳してきた「儒教」という教えが肝になるのです。社会道徳を植え付けたという意味では日本人の道徳観を形成したメリットがありましたが、上下関係や身分格差を助長したという面ではデメリットでした。

いわば「お上に逆らうことは罪」だという考え方ですね。だからこそ富裕商人たちがコメを買い占め、私腹を肥やしているという図式に繋がったのです。

また幕府は飢饉のたびに「お救い米」といった弱者救済策を実施していましたから、あまり批判が向かなかったという一面もありますね。

5.世直し一揆と打ちこわし

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幕末が近くなり、世情が不安定になってくると都市部や村落での階層が崩壊し、統制の取れない百姓一揆が頻発するようになりました。近世の百姓一揆が非暴力を貫いていたのに対し、この頃の一揆は暴力をもっての事態解決を目的としていました。

5-1.民衆の不満が爆発した世直し一揆

幕府の開国後、輸出入が盛んになって国内物価が上昇を始めると、民衆の不安や不満は極度に上昇しました。各藩も不測の事態に備えて米を備蓄する傾向にあったため、重税とかさなり、米価の高騰もそれに拍車を掛けたのです。

この時期に起こっていた世直し一揆は非常に暴力的で、かつては竹槍や鎌などを持って示威行動していた農民たちも、この頃には刀槍を携えるようになり、抗議活動のための一揆として変質を遂げました。

その裏には、異形な出で立ちの悪党(無宿者)たちが煽動していたといわれており、社会に一層不安を与えることになりました。

彼らの武力は、ただでさえ弱っていた幕藩体制を直撃し、鎮圧に向かった藩兵も撃退されてしまう始末で、大いに手を焼いたのでした。徳川幕府が倒れたのちには、地租改正反対一揆なども起こり、いくつかの藩も屈服して降伏しているほどです。

5-2.幕末には打ちこわしが頻発

各藩の財政を支えていたのは言うまでもなく米でしたが、江戸時代も後期になると、各地方で特色のある特産品の栽培を奨励していました。これがいわゆる専売商品といわれるもので、例えば阿波(徳島県)の藍、薩摩(鹿児島)黒糖、播磨(兵庫県)の綿花などが有名ですね。

ところが幕末近くになって米価が高騰し社会問題となりました。これら専売品も高い値を付けるようになると、幕府や藩に矛先が向けられるどころか、富裕商人たちがターゲットになりました。要は「価格を都合の良いように操作し、利益を得てカネを貯めこんでいる。米が出回らないのは商人のせいだ!」と攻撃されたのです。

もちろん商人にしても、万が一の時のために備蓄するのは当然なのですが、怒りに任せた民衆たちはそんなことに聞く耳を持ちません。

武装した民衆たちが商家を襲い、米などの食糧どころか金目のものまで奪い去るということが頻発しました。中には放火する者までいて、まさに「暴動」とも呼べるものでした。

大正年間に起こった「米騒動」も原理は同じでしたが、幕末という時期は、いかに幕藩体制が動揺し、支配者層の力が衰えていたかがよくわかります。

社会情勢が不安定な時ほど、民衆は動揺するもの

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独裁国家といわれている北朝鮮が、なぜあれだけ民衆をがんじがらめに統制しようとしているのか?人は食べるものことに困れば、何かしらの解決策を見出そうとするもの。そういった人々が団結すれば、それは大きなパワーになることを知っているからですね。だからこそ「強国」であることをアピールし、民心の不満をそらそうとしているわけです。江戸時代の為政者にも同じことがいえて、人々の不満をそらすために身分制度を確立したといっても過言ではないでしょう。為政者がどれだけ耳触りの良いことを言ったとしても、それを見抜くのは民衆の力なのですから。

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明石則実