中国の歴史中華民国

【二つの国家と中華民国】中華民国とはどんな国?その歴史について解説

蒋介石の台頭と北伐

こうして広州の地にて新しい道をスタートさせた孫文でしたが、彼は1925年に志半ばでこの世を去ります。

その後跡を継いだ蒋介石が国民党の主導権を握り、軍閥だらけでぐちゃぐちゃしていた軍閥を打倒すべく広州を起点に北伐を開始。その過程で軍閥なども糾合していくことによって中国の統一が進められた。

蒋介石はこの当時手を結んでいた共産党を壊滅に追いやり、徐々に北上。1928年には満州を治めていた奉天軍閥が国民党に降り、中国は蒋介石率いる国民政府によって統一を成し遂げたのでした。

日中戦争と台湾への遷都

こうして中国を統一した蒋介石。その後国民党は南京にて国民政府を立ち上げて中国を支配していくのですが、まだ地方では軍閥がある程度残っており、また延安には毛沢東率いる共産党勢力が残されていました。また1931年には満州にて満州事変が勃発。これを機に日本が満州国を立ち上げて満州を実質的に支配。蒋介石は共産主義者に対する攻撃を継続していたのですが、奉天軍閥の指導者である張作霖が日本軍に殺されたことに恨みを持っていた息子である張学良は蒋介石を監禁してまで日本との対決姿勢をとるように懇願。なんとかして共産党と同盟関係を結び、1937年に日本が中国に侵攻を開始すると抗日民族統一戦線を成立させ、海岸部を占領されるものの、内陸部である重慶に首都を移し、1945年の日本の降伏まで粘り強く耐える耐え最終的には連合国の戦勝国としての地位を手に入れ、これまで列強の植民地であった地位から抜け出せることになったのです。

しかし、戦後から中国国民党と中国共産党は対立関係を深め1948年には第二次国共内戦が勃発。国民党はソ連の支援を受けた中国共産党に全く太刀打ちができず連戦連敗。最終的には成都から日中戦争によって返還された台湾島へと逃げ台湾にて国民政府を組織するようになったのでした。

台湾を治める中華民国

image by PIXTA / 36244382

このように中華民国は中国国民党によって統一されたのちに、第二次国共内戦にて負けてしまい台湾島へと逃げることになりました。中華民国はこの地にて新しい歴史をスタートさせていくことになるのですが、中華民国はここからどのような歴史を歩んでいき、またどのような国になって行ったのか。次はそんな中華民国の現在について見ていきましょう。

蒋介石の独裁

1949年蒋介石率いる中華民国は南京から臨時的な首都として台北に遷都。この地にて新しい国づくりを再び始めることになります。

しかし、蒋介石は日本の息がかかっているこの台湾の地を中華民国中心の地に作り変え、さらには再び中国大陸へと返り咲く(大陸反攻)を行うため1950年に一旦は辞めていた総統の地位に戻り、戒厳令という軍がある程度の権力を持つという状態に突入。国会も実質的に凍結されてしまい、政府も人権よりも中国への復帰を目指した形となってしまい人権が抑圧されるという状態が続いていくことになりました。

このような状態は蒋介石の息子である蒋経国が政治を引退する1987年まで続けられることとなるのでした。

台湾の国際的孤立

台湾に移った蒋介石が唯一の希望として期待していたの中国を統治する唯一の正統な国家としての地位でした。

中華民国は資本主義国であったことや、1950年から朝鮮戦争が巻き起こり、アジアにおける資本主義国が頼りにされていったことを受けて日本との国交を樹立。国連における常任理事国としての地位を保持して国際社会で活躍していくことになるのですが、1971年から対立していた中華人民共和国がアメリカに急接近してきたことを受けて国連総会によって、国際連合での中国の代表権が中華民国から中華人民共和国へ移行。日本やアメリカなどは台湾に対して中国としての地位を捨てて新しく台湾国を設立して国連に留まるよう説得したが、あくまでも中国大陸へと返り咲くことを目的としている中華民国は中国としての地位を捨てることを拒否し、政府は中国として認められないのであれば国連にいる意味は無いと国際連合から脱退。

これによって頼りの綱であったアメリカや日本との国交も断絶することとなってしまい、中華民国は孤立化の道を歩んでいくことになるのです。

次のページを読む
1 2 3
Share: