中国の歴史

北方の征服民族であった「女真族」と二つの征服王朝をわかりやすく解説

ヌルハチによる女真族統一と後金の発展

明が徐々に衰退していくことになる中、1587年に建州女直の部族を統一したヌルハチはマンジュ国(満州)を建国。1592年に豊臣秀吉による朝鮮出兵が行われている中で残りの二つの女直を滅ぼして徐々に勢力を拡大していくことになります。ヌルハチは女真族をまとめ上げると国としての統治機構を制定していき、八旗制という軍事制度と社会制度を整えていきました。

また1616年にはついに女真族を統一。金の後継として後金を建国すると1618年には明に対する恨みを理由に侵攻を開始。この頃完全に財政が破綻してきた民には女真族の勢いを止めることはできず遼東の地を確保1625年に都を瀋陽において今の満州の地を完全に支配しました。

ヌルハチの死後に皇帝となったホンタイジは1635年にモンゴルのチャハル部を下して玉璽を手に入れると元々漢民族によってつけられた女直の名前を捨て、ヌルハチが最初につけた名前であるマンジュから女真族を満洲族に改名。さらに翌年には後金を清に改名して中国大陸を制覇することになりました。

女真族のその後と征服王朝の意義

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その後女真族は清の成立とともに名前を満州民族に変えて実質的に消滅することになります。しかし、女真族という民族は二度も中国大陸を征服して統治するもいうとても中国の歴史の中では深い意義がある王朝でもありました。

征服王朝は漢民族にとったら屈辱的かもしれませんが、この征服王朝によって中国の領土は著しく拡大。この女真族が立ち上げた清によって今の中華人民共和国の領土が確定するほどのものだったのです。

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