イギリスヨーロッパの歴史

イギリスを第二次世界大戦で勝利に導いた「チャーチル」不屈の政治家をわかりやすく解説

反共主義者チャーチルの「鉄のカーテン」演説

首相の座を退いたチャーチルは、ますます反共産主義の立場を強めていきます。1946年3月、訪問中のアメリカでいわゆる「鉄のカーテン」演説を行いました。

演説の中でチャーチルは「バルト海のステッチンからアドリア海のトリエステまで、ヨーロッパ大陸を横切って鉄のカーテンが下ろされた」と述べ、ソ連が東ヨーロッパの社会主義国を衛星国化し西側の資本主義国と対立していることを批判します。

また、チャーチルは労働党が行うイングランド銀行や重要産業の国有化を、社会保障制度の充実を批判。「イギリスは社会主義の悪夢にとりつかれている」と述べました。これに対し、ソ連の指導者スターリンはチャーチルを「戦争屋」などと表現し反論します。

第二次チャーチル内閣

選挙の結果成立したアトリー内閣はイギリス初の労働党単独内閣でした。アトリーは選挙で公約した重要産業の国有化や社会保障の充実政策を実施。戦争で損なわれた産業基盤を再整備し、社会保障を重視する政策は「ゆりかごから墓場まで」といわれたイギリス流の「福祉国家」を実現させます。

チャーチル率いる保守党は労働党の政策を激しく批判しました。1951年に行われた総選挙では、保守党が労働党を逆転。政権を奪還します。チャーチルは2度目の首相の座につきました。

チャーチルは1951年から55年にかけて、政権を握ります。その間、イギリスは核兵器を保有し米ソに続く第三の核保有国となりました。1953年には『第二次世界大戦回顧録』でノーベル文学賞を受賞します。1955年、チャーチルは政権をマクミランに譲り、首相の座を退きました。

反ナチス・反共産主義を貫いた硬骨の政治家

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チャーチルは持ち前の気の強さと自説を用意に曲げない頑固さによって一時代を築いた政治家でした。世界がヒトラーに押され、宥和政策をとった時もチャーチルはヒトラーに屈してはならないと訴えます。共産主義が強まった時も、彼は反共主義の立場を崩そうとしませんでした。第二次世界大戦という苦境の中で、チャーチルはイギリスを勝利へと導いたのです。

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