室町時代日本の歴史

東山文化を代表する名刹、銀閣寺についてわかりやすく解説

銀閣がある慈照寺の庭園

慈照寺の庭園は廻遊式庭園の代表例として取り上げられます。廻遊式庭園は室町時代以降に多くつくられた庭園で、現在の日本庭園の基本となる形。中央に大きな池を配置し、その周囲に池を回る通路を設定します。通路の付近に築山や名石などを配置し、池の中の小島に出入りできるようにするのも特徴の一つです。

慈照寺の場合は、中央にある錦鏡池(きんきょうち)を中心とし、向月台といわれる180センチほどの台形の築山や銀沙灘(ぎんしゃだん)とよばれる波紋を表現した白砂の庭が配置されていますよ。

銀沙灘越しに見る向月台や観音殿の姿は趣があっていいですね。錦鏡池越しに見る銀閣は、歴史の教科書などにもよく登場するアングルです。現在の庭園は江戸時代に改修されたもので、義政時代と違っているとのことですが、それに関わりなく美しい庭園なので、一見の価値あり。

日本文化の源流を生み出した東山文化とは

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銀閣寺に代表される東山文化は8代将軍足利義政時代の文化。東山文化は禅の精神にもとづく簡素さや伝統文化である幽玄を基調としています。書院造に代表されるように、芸術性や美的センスが日常生活の場にも広がっていった時代でもありました。また、茶の湯や華道といった現代にも通じる文化が生み出されたことも東山文化の特徴です。

石庭や水墨画などの禅宗文化

銀閣寺以外で東山文化の時代を代表する庭園といえば、竜安寺の庭園です。銀閣寺の庭園が池を中心とした池泉廻遊式であるのに対し、竜安寺の庭園は一木一草もない枯山水の庭園

長方形の庭に白砂を敷き、大小15個の石を配置しただけの簡素な庭園です。禅宗で重んじられる簡素さを徹底的に追求したのかもしれませんね。

禅宗の影響で日本に広まったものの一つに水墨画があります。水墨画は墨の濃淡だけで立体感や色感を表す東洋独特の絵画。もともとは中国で発達した技法ですが、室町時代に日本に伝わりました。

日本的水墨画を大成させたのが雪舟です。雪舟の代表作である「秋冬山水図」は秋と冬の景色を一対の水墨画として描いたもの。墨だけで書かれているにもかかわらず、奥行きや深みを感じさせる雪舟の集大成ともいえる作品です。

現代にもつながる茶の湯の誕生

禅宗と切っても切り離せない関係にあったのがお茶です。日本に喫茶の文化を持ち込んだのは臨済宗の開祖である栄西。栄西は『喫茶養生記』で茶の種類や製法、効能などを記しました。

現代の茶道に通じる「わび茶」を始めたのが東山文化の時代に活躍した村田珠光です。村田珠光は1423年に奈良に生まれました。その後、称名寺にいたことはわかっています。

村田は茶の湯の弟子である古市播磨法師にあてた手紙の中で、茶の湯で大切なのは中国伝来の唐物と日本古来の和物の境界を取り払うことだと主張。

さらに、相手の立場や技量を見下したり、持っている茶道具の自慢をすることなどはするべきではないと説きました。村田のこうした考え方は現在の茶道の中にも生かされているので、村田珠光は茶の湯の祖とされます。

室町時代に成立した『御伽草子』

一寸法師』や『浦島太郎』といった昔話のことを『御伽草子』(おとぎぞうし)といいます。御伽草子は鎌倉時代の末から江戸時代にかけて成立しました。

御伽草子は公家物、宗教物、武家物、庶民物、異国物、妖怪などを扱う異類物などに分類されます。江戸時代に400近くある物語のうち、23編をまとめた『御伽文庫』が出版され世の中に広く知られました。

この中には『一寸法師』『浦島太郎』『酒呑童子』『物くさ太郎』など今でもよく知られている物語が含まれています。こうしたキャラクターの知名度を生かした携帯電話会社のコマーシャルが話題となりましたね。

銀閣寺の書院造といい、茶の湯といい、御伽草子といい、現代の日本文化の源流にあたるものが東山文化の時代に出来上がっていたのは驚きですね。

日本文化の基調を作った東山文化

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日本の文化といえば、江戸時代の文化を思い浮かべることが多いかもしれませんが、源流をたどると室町時代、特に東山文化にたどり着きます。応仁の乱にみられるように、政治家としての足利義政はお世辞にも有能とは言えません。しかし、文化・芸術を育てる鑑識眼は確かなものがあったのでしょう。義政の文化面での功績は見直されてもよいのではないかと思います。

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