安土桃山時代日本の歴史

秀吉の「刀狩り」は何のために行われた?~本当は刀を取締るものではなかった~

戦国時代に蔓延した乱取り

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By 作者不明ブレイズマン (talk) 09:04, 26 March 2010 (UTC), パブリック・ドメイン, Link

戦国時代、天候不順による凶作が起きた場合、他の村と助け合うといったことはなく、むしろ「乱取り」といわれる敵地での人や物資の略奪を稼ぎとする風潮が蔓延していました。現代では考えにくい風潮ですが、当時では、凶作に陥った場合に年貢が納められないどころか、農民自身の糧自体が途絶えてしまうことも多々あったのです。そうした場合、自分の所有する田畑において何らかの工夫をするのではなく、他国での乱取りに頼らざるを得ないと平気で考えられていました。

いざ合戦の際には敵の大名の城を落とす云々よりも、戦乱に乗じて他国の田畑の作物や、領民、武具などの乱取りを行うことが目的になってしまい、それによって得られた物資を市場で交換して生活の糧に当てていたのです。乱取りに対する罪悪感は一切なく、乱取りは、するかされるかの生死を分けた戦いの一つに組み込まれていました。この中で自分の村で武器の徴収に応じることは、すなわち乱取りされることを選択することにもつながったのです。

刀狩りに伴い、実際に耕作に専念していたらどうなるか

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もし秀吉の発令した刀狩りを素直に受けて、刀や槍などの武具の所有を放棄して耕作に専念していたらたら、どういったことになったでしょうか。1つは村同士の田畑の境界線や、水のトラブルに巻き込まれた場合に、力ずくで相手の村に侵入されてしまうことになったでしょう。また戦が自分の国で起こった場合、手元に武具がないため全く為す術もなく、荒らされてしまうことは必定です。江戸時代のように奉行所があるわけでもないため、大名が統括する領地内の田畑といえども、それらを守り切ることができるのは、村単位の自衛組織しかありませんでした。

刀狩りは何を対象に取り締まったものなのか?

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農民にとって銃は害獣の駆逐用の道具として必需品であり、刀や槍などの武具は村の自衛や合戦時の参加に必要な生活必需品であって、秀吉といえども法令通りに徴収することは不可能でした。それでは刀狩りはそもそも何を対象に行われたのでしょうか?それは火薬の原料となる煙硝なのです。日本では火薬の原料はほとんど産出できなかったので、海外からの輸入がほとんどでした。煙硝の仕入れの対価として、合戦時の乱取りによって日本国内で売買されていた人々がまとめて船に積み込まれていたのです。すなわち煙硝の仕入れを取り締まることで、人身売買によって日本人が海外へ流出することを防止するものでした。

戦国時代では人身売買が常態化していた

人身売買というと日本国外で昔に行われていた奴隷貿易を思い浮かべることでしょう。しかし日本国内においても、戦国時代では人身売買が常態化していたのです。合戦の度に敵国の領地の雑兵による乱取り(物資の収奪や、人さらい)が当たり前のように行われておりました。特に人身売買によって他の領国へ売られた場合、さらわれた者の親戚が買い戻したり、あるいは買い取った業者がさらに別の領国に売られたりしていましたが、これらは全て日本国内においての取引でした。

しかしポルトガルやスペインの商人が絡むようになりますと、日本人が奴隷として日本国外へ売られるようになったのです。そして日本人奴隷が他の国の奴隷よりも付加価値が出て高値で取引されるようになると、日本人奴隷を仕入れるために、日本に煙硝を売り込むようになりました。

火薬の国内流入が領民の海外流出につながっていた

秀吉はある時期を境に領民が各地で激減していることに気づき始めました。そしてその原因が煙硝を海外から仕入れていることに関係があることを突き止めたのです。すなわち人身売買が、海外にまで及んだことでした。日本人奴隷の海外輸出は、元々日本国内の敵国から乱取りで確保した領民の転売が思うように行かなくなったときの、引受先がポルトガルやスペイン商人であったことから始まったのです。それが結果的に火薬の仕入れに伴う大量の日本人奴隷の海外流出につながっていきました。したがって秀吉は火薬の仕入を取締まることで、日本人が国外へ売られていくことを阻止しようとしたのです。

刀狩りを名目とした武器弾薬の把握による人身売買の取締

秀吉は刀狩りを名目として配下の大名の武器弾薬の保有を管理したのです。かつて戦国大名の中には、大量の武器弾薬の保管を領地内の農民が行い、いざ戦となった場合には武器弾薬とともに農民が動員されることで、自分の兵力を隠しているものもおりました。そこで、刀狩り令により刀や槍、鉄砲というよりは火薬やその原料となる煙硝を取り締まることに目的が置かれたのです。農民が保管している火薬の量が、害獣の駆除に必要と思われる量を明らかに上回るようであれば、背後に海外との人身売買の取引があったと見て、その領主が取り締まりの対象になりました。名目を人身売買の禁止令とした場合よりは一見関係のない刀狩り令で取締を強化した方がはるかに効果的だったことに秀吉は気づいていたのです。

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