室町時代戦国時代日本の歴史

豊臣秀吉に溺愛された秘蔵っ子「豪姫」夫を思い続けた健気な一生を解説

夫の窮状に、立ち上がった豪姫

八丈島での秀家たちの生活は、厳しいものだったそうです。代官にごちそうされたおにぎりを持ち帰ろうとしたり、島の近くを通りかかった福島家の船から酒を恵んでもらったりなどという逸話が残されており、秀家がかつての身分を捨てて、生きるために必死だったことがわかります。

こうした夫たちの窮状を知った豪姫は、すぐさま彼らへの援助の許可を、前田家を通じて幕府に申し入れました。そして、米や金子、薬や衣服などを送っても良いという許可を取り付けることに成功したのです。夫のために豪姫が日々頭を悩ませ、奔走したことがうかがえますよね。

夫への愛を貫いた強さ

前田家から秀家たち、そして島でできた一族への援助は、明治時代になり宇喜多家が恩赦を受けるまで続いたそうですよ。恩赦後、八丈島に残った血筋は「浮田」姓を名乗るようになり、本土へ戻った者は前田家の庇護を受けたそうです。どこまでも前田家による宇喜多家への保護が続いていますが、そこには豪姫の強い意志があったものと考えられます。

そして寛永11(1634)年、豪姫は61年の生涯を終え、金沢で葬儀が行われました。一方、秀家は、84歳という長寿を島で全うします。

2人の結婚生活はわずか12年ほどでした。豪姫が夫と引き裂かれて過ごした時間は、34年に及びます。どれほど辛かったか…と思わず言葉を失いますが、それでもくじけることなく生き、夫への援助をし続けた豪姫の胸には、変わらぬ夫への愛があったのでしょう。

夫を思う気持ちは戦国随一

image by PIXTA / 30725249

30年以上離れ離れだったら、心変わりしてもおかしくないと思います。しかしそうはならなかったことで、豪姫という女性の愛情深さが彼女の魅力として今に伝わっているわけですね。平成9(1997)年、八丈島に豪姫と秀家が並んだ像が建てられました。ようやく一緒になれた2人の姿を、八丈島に行く機会があった際には、ぜひ見に行ってあげて下さい。

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