ロシアロマノフ朝

自分の信じる道を進み大帝となった「エカテリーナ2世」の生涯をわかりやすく解説

ロシアの文化の育成

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改革を行ってさらに対外政策を行ったエカチェリーナ2世。そんな彼女が熱心に取り組んでいたのがロシアの文化の育成でした。

エカチェリーナ2世はロシアの文化を育成するために教育制度のシステムを確立。公立の学校をどんどん建てていってロシアにおける識字率の向上に努めていきます。さらにエカチェリーナ2世自身が女性だったこともあり女性専用の学校も成立したとか。

また、ボリショイ劇場エルミタージュ宮殿を建設して西欧に張り合うような宮殿を建てていきました。

このように様々な文化の育成に努めていったことによってかつては東欧の後進国だと揶揄されていたロシアは首都サンクトペテルブルクが世界を代表する国際都市に発展したことを始め、のちに世界の超大国としての地位を打ち立てる基盤を築いたのでした。

エカチェリーナ2世と日本人

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エカチェリーナ2世はロシアの女帝だということもあって日本とはあまり馴染みのない人のように見えますが、実はこの時とある日本人がエカチェリーナ2世と面会したことがあるのです。

この当時日本はまだ江戸時代。もちろん鎖国もしておりロシア人が日本にやってくることはほぼありません。しかし、1783年大黒屋光太夫という人が伊勢から江戸に向かう途中でなんと遭難。アリューシャン列島のアムチトカ島に漂流してなんとロシアに足を踏み入れることとなりました。

その後大黒屋光太夫はキリル・ラクスマンなどのロシア人に助けられたこともあってシベリアの拠点であったイルクーツクからサンクトペテルブルクに訪問。エカチェリーナ2世に直接面会して帰国の許可をもらったんだそうです。

ちなみに、このキリル・ラクスマンの息子が日本史で習うであろうラクスマン来航のあのアダム・ラクスマン。エカチェリーナ2世からしたら日本と貿易できるチャンスだと思ったかもしれませんね。

プガチョフの乱

さて、話を戻しましてロシアの情勢なんですが、エカチェリーナ2世は改革には前向きでしたけど農奴制に関してはかなり消極的でした。

それには貴族たちの反乱を恐れてだったりしていたのが主な理由なんですが、そのほかにも1773年から1775年まで起こったプガチョフの乱が原因の一つだと言われています。

このプガチョフの乱とはコサック騎兵の出身であったプガチョフがエカチェリーナ2世の元夫であるピョードル3世であると主張してコサック騎兵の支配地域や反エカチェリーナ2世派閥を煽って反乱を起こさせました。

この反乱はロシア軍によってあっけなく鎮圧されることになったのですが、エカチェリーナ2世に与えた影響は絶大なものでこの反乱に農奴制で束縛されていた農奴がたくさんプガチョフ側についていたこともありここから先一気に農奴制の制度を強化していくようになりました。

こうしてエカチェリーナ2世は啓蒙専制君主であるにもかかわらず一番廃止しなければいけない制度であった農奴制を捨て去ることができなかったのです。

啓蒙専制君主の挫折とエカチェリーナ2世の崩御

エカチェリーナ2世は上でも書いた通り啓蒙専制君主としてロシアを率いていました。しかし1789年。ロシアどころかヨーロッパのすべての国を揺るがすとある大変動がフランスで起こることになりました。そうみなさんご存知フランス革命です。

フランス革命によってこれまで絶対王政と呼ばれた王様が全ての政治を決めるというシステムから国民によって政治を決めるという共和政というシステムに変更。国王のルイ16世とマリー・アントワネットは処刑されることになりました。

これを受けてエカチェリーナ2世は大変ショックを受けます。もし、このまま啓蒙専制君主を続けて改革を行っていったらフランス革命に影響を受けとち狂った民衆が帝政を倒しにいく可能性は充分にありました。

そのため、フランス革命が起こるとこれまでの改革は全て中止。逆に権利を与えるように運動を起こした人を徹底的に弾圧するようになって自由主義を根絶させるように動き出します。

しかし、その一方でこの頃エカチェリーナ2世は脳卒中を起こしており、フランス共和政を打倒する一大同盟である第一次対仏大同盟には参加することはありませんでした。そのため初期のフランス革命戦争はロシアは参加することはなく、中立的な立場でいたのです。

そしてフランス革命戦争で大活躍することになるナポレオンが躍進するきっかけとなったイタリア戦役を起こした年である1796年。エカチェリーナ2世は脳梗塞によって67歳で崩御したのでした。

その後ロシア帝国はフランス革命戦争に介入してモクスワ出征が行われるなど苦境に立たされることになりますが、これに見事に勝利してロシアは大国としての地位をついに確立したのです。

エカチェリーナ2世はロシア帝国を大国に押し上げた

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エカチェリーナ2世が信仰した啓蒙思想はプガチョフの乱などによって挫折することになったのですが、ロシアの南下政策を推進したり黒海地域を獲得したり、ロシアの近代化を進めたりするなどロシアの国力増強に強い役割を果たすようになりました。

エカチェリーナ2世はまさしく強い女性の象徴とも呼べる人物だったのですね。

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