日本の歴史

「皇帝」「教皇」「法王」「法皇」「天皇」…尊称の違いって?歴史と一緒に解説

権力の衰退、そして「バチカン市国」へ

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その後、昔はたくさんあった「教皇領」もすっかりなくなり、国家としては衰退するローマ教皇と教皇庁。ここでみんな疑問に思っている「バチカン市国」に言及しましょう。なんでローマ市の中にわざわざ「市国」まで作ってるわけ?

理由は近代にいたって行われたイタリア統一です。イタリア半島は長らく小さな国の集合体でしたが、19世紀にイタリア王国として現在の形に統一されることとなります。その際イタリアは北部の教皇領をゲット。ローマ教皇は激怒しイタリアと国交断絶に至ります。時の教皇ピウス9世はイタリアの首都ローマ市郊外のバチカン地域に引きこもって出てこず、イタリア王族と政府を破門して抵抗。ローマの地は大先輩聖ペトロが殉教した地、ローマ教皇にとって非常に特別な場所だったのです。

これうまく納めたのは意外な人物、ファシスト独裁者として歴史に名高いベニート・ムッソリーニでした。バチカンを独立国家として認めて、カトリックの特別な存在という立場も尊重するから、ゴタついてる教皇領はイタリアのものにしてね、という案を出して受け入れられたのです。「バチカン市国」の誕生と同時に世俗との複雑な関係に一段落がついたのは、なんと20世紀初頭でした。

日本の天皇と法皇と法王と皇帝……なにがどう違うの?

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さて西洋世界から目を転じて、日本にやってきましょう。歴史をちょっと見るだけでも、明らかに他の国の君主・元首とは毛色が違う日本の天皇家。現在、世界で「Emperor」の尊称を名乗るのは日本の天皇家だけです。中国やヨーロッパの皇帝とは違うの?法皇って……あれ、法王?ややこしいけど面白い日本の天皇のシステムを探っていきましょう。

平安時代、仏門に入った天皇として権力を

日本史に「法皇」という名が本格的に登場するのは、平安時代。正式には「太上法皇」という呼び方をします。法皇は出家をしており、世俗を離れた仏教世界の方です。天皇が譲位なされて上皇となり、さらに次の天皇も位を退かれたときに繰り上がりで上皇は法皇となります。仏教が強い権力を持っていた平安時代、宇多天皇が法皇と名乗られたのがきっかけ。法皇の位まで行くと「院」とも呼ばれます。

そう天皇より上、上皇よりも上、で法皇となると仏教世界の人間となるので上皇よりもさらに上。「院政」を敷く根拠となったのです。平安末期の白河法皇は幼い帝の後見をするということで実験を握り、白河法皇の崩御後はずっと子供扱いだった鳥羽法皇が院政を、といった具合でした。都合のいい子供を天皇の座につかせて親が権力をあやつるこの構図は、武家社会が確立するまで続くのです。

ちなみに、日本の法皇は「法王」とは書きません。天皇・皇族の「皇」なんです。ローマ法王と混同されることが多い呼び名ですが、漢字には気をつけましょう!

皇帝とはどう違うの?不思議な日本の天皇家

さて法皇と法王の違いはわかりましたが。中国などの「皇帝」と日本は何がどう違うのでしょうか?中国ではじめて「皇帝」を名乗ったのは秦の始皇帝。始皇帝は「他の王よりも誰よりもエライ、それが皇帝」という位置づけをするために「皇帝」という呼称を作り上げました。

で、日本の君主はなぜ「天皇」と名乗るようになったのでしょう?定説はありませんが、古代中国の神話「三皇」のうち一柱が「天皇(てんおう)」と言い、これは天帝・天子という意味を持ちます。この辺からとったらしい……とは言われますが、いまだ論争がたえない部分です。

ところで日本の天皇家は世界最古の王家。実在が確認されている(神話の存在ではない)継体天皇以来、1500年以上続いています。中国など他国の皇帝は武力革命で前の皇族を倒して王朝を立てることの繰り返し。日本の天皇は神格化や、実権を放棄すること、現代にいたっては象徴として国民に寄り添うことでうまいこと世渡りをしてきました。このあたりもガラパゴスな感じに発展した感がありますね。

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