教養歴史

「鬼の半蔵」と呼ばれた武将?!「服部半蔵正成」は、実は忍者ではなかった

服部半蔵正成(はっとりはんぞうまさなり)は、最も有名な忍者として周知されているといっても過言ではないでしょう。伊賀忍者の頭領としても有名ですが、実は徳川家康に仕え命を救う武功をあげ、徳川十六神将の一人に選ばれた名武将でした。今回は、「服部半蔵正成」という武将について解説したいと思います。

1.忍者の中でも人気No.1?「服部半蔵」の生い立ち

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「忍者といえば、誰を思い浮かべる?」と聞いたら、まず名前が挙がるのが「服部半蔵(はっとりはんぞう)」ではないでしょうか?小説やマンガ、ドラマや映画などにもよく登場する知名度の高い忍者です。でも、半蔵は忍者ではなかったようなんです!それでは、半蔵がどんな人生を歩んだか見てみましょう。

1-1伊賀の三代上忍のひとり「服部半蔵」

伊賀の忍者には、「上忍・中忍・下忍」の3つの階級がありました。一番偉い階級の上忍には、服部半蔵をはじめ北伊賀衆の頭領「藤林長門(ふじばやしながと)」や伊賀流忍術の祖と称される「百地丹波(ももちたんば)」がおり、「伊賀の三大上忍(いがのさんだいじょうにん)」と呼ばれています。でも彼らが何らかの功績を残した記録はなく、実情不明のミステリアスな存在です

今回ご紹介する服部半蔵正成は、「黒装束で闇夜に紛れ動き回り、いかにもいぶかしい忍術を使う影の軍団の頭」。といっても、彼が忍者だったという事実は確認されていません。

ちょっと雑学

先ほどから「服部半蔵」と何度もいっていますがこの「半蔵」は、徳川家康に仕え「鬼の半蔵」と称される服部正成(はっとりまさなり)のこと。彼は12人いた伊賀の頭首の中でも、最も有名になった「二代目服部半蔵」です。

というのも「半蔵」という名前は、服部家の頭首が名乗る世襲制にのっとってつけられるもの。初代の頭首は「服部保長(やすなが)」で、室町時代に足利義晴(あしかがよしはる)のもとで、忍者として仕えています。三代目は江戸時代に暴君ぶりが過ぎて、忍者界初のストライキを起されてしまった「服部正就(まさなり)」です。その後の頭首「服部半蔵」は、徳川家や桑名藩家老の松平家に仕えて存続しています。

1-2二代目「服部半蔵」の幼少期

服部半蔵正成は、天文11(1542)年に、服部保長(はっとりやすなが)の5男(6男との説も)として三河国(現在の愛知県東部)で誕生しました。実は、同じ年に超有名な戦国武将が生まれています。それは正成が仕えた天下人の徳川家康です。二人は同級生なんですね。忍者といえば架空の人物で実在がないように思われますが、半蔵はちゃんと三河国で生まれています。

半蔵の本名は、服部石見守正成(はっとりいわみのかみまさなり)です。幼い頃からやんちゃで体も丈夫な子だったとか。7歳の時に僧侶になる修行のため、大樹寺に預けられました。この寺は、松平家の菩提寺(現在愛知県岡崎市にある国の重文)です。やんちゃな半蔵は、10歳の時に寺修行に飽き飛び出してしまいました。その後4人の兄妹によって育てられたようです。

1-3どうして服部半蔵は三河の国で生まれた?

初代半蔵の父保長は、室町幕府の足利義晴に仕えた忍者です。保長の表の顔は、武士の足軽より低い身分の百姓をしながら戦に参加するという身でした。でも、裏ではれっきとした忍者だったんですよ。

でも、伊賀の忍者は当時、厳しい暮らしを強いられていました。伊賀の里があった場所の400年前は、琵琶湖だったんです。地殻変動で陸地になるも土地は粘土質で、日照りが続くと土地がひび割れ水が漏れてしまい農作物が育ちません。

忍び」として働ける忍者は、悪条件の土地を離れ、各地の大名に雇われ武将となったのです。初代服部半蔵の保長もその一人でした。室町幕府から家康の祖父で三河の「松平清康(まつだいらきよやす)」に鞍替えしています。だから、二代目服部半蔵正成は、伊賀ではなく三河で生まれたんですよ。

2.家康のもとで武功をあげる服部半蔵正成

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服部半蔵は、家康に仕え武将としてさまざまな活躍をします。その力を認められ半蔵は、徳川十六神将の一人に数えられるようになったのです。それでは、武将として活躍する半蔵の雄姿をご紹介しましょう。

2-1上郷城攻めで活躍する半蔵

半蔵は、忍者でなく武将として活躍したといわれています。寺を飛び出してからは、忍者としてはもちろん武将としての教育も受けていました。忍者的な鍛錬は相当なもので、武将としても同じくらい修練を積んでいます。一節によると、三河で育った半蔵は、忍者修業はしてなかったとの説もあるようです。

16歳の時に家康が今川の家臣鵜殿長持(うどのながもち)を相手にした「上郷城攻め」の際、夜襲で活躍した有名な話があります。伊賀忍者70人と共に城に忍び込み、槍で敵を斬捨てながら城の至る所に火をつけ城主の首を取った勇ましい武将さながらの活躍をしたとか。火をつけながら城を駆け回る半蔵の姿は、まさに忍者そのものだったようです。さすが、忍者のサラブレットですね。

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