ドイツヨーロッパの歴史神聖ローマ帝国

謎深き「神聖ローマ帝国」を始まりから滅亡までわかりやすく解説!

オーストリア継承戦争

ウェストファリア条約が締結された後、帝国はハプスブルク家の本拠地であったオーストリアやその周辺諸国をまとめる帝国として再スタートします。しかし、18世紀に入るとこの神聖ローマ帝国に再びピンチが訪れようとしていたのです。

この当時、ハプスブルク家の当主であったカール6世には息子がおらず、帝国を引き継ぐ人がいない状態でした。そのためカール6世は長女であるマリア・テレジアをハプスブルク家の当主としようとしましたが、これにフランスとプロイセンが待ったをかけました。

フランスとプロイセンからしたらこれまでハプスブルク家は男子が引き継ぐもので女性の当主は認めないと頑固な対応をしたことによって、オーストリア継承戦争が勃発してしまいました。

結局、この戦争は一部の領地を失いながらもマリア・テレジアが当主として即位することができましたが、これによってオーストリアは改革を迫られるようになったのです。

マリア・テレジアによる改革と啓蒙思想の誕生

さてさて、マリア・テレジアがなんとかハプスブルク家の君主となりひと段落しましたが、このオーストリア継承戦争によってマリア・テレジアは国を近代化していかなければいけないということに気付かされます。つまりは軍を増強して中央集権的な国家を作っていくことになるのですが、さらに彼女は宿敵プロイセンを打ち破るためにかつて散々戦ってきたブルボン家との同盟関係を結び、当時皇太子であったルイ16世と娘のマリーアントワネットを婚約させるところまでこぎつけました。

これはプロイセンにとったらすごく衝撃的な事だったそうで、プロイセンはこの事を受けてオーストリアに再び攻撃。いわゆる七年戦争と呼ぶヨーロッパを巻き込んだ戦いに突入していきます。

結局この戦争は引き分けという形で終わりましたが、この戦争によって神聖ローマ帝国が治めていた領地が完全に決定。

さらにマリア・テレジアの夫であったフランツ1世がこの世を去ると息子であるヨーゼフ2世が皇帝として即位。いわゆる啓蒙専制君主として宗教の信仰の緩和農奴の解放令などの近代的な政策を打ち出していき、オーストリアを近代化していきました。

フランス革命の衝撃

こうして神聖ローマ帝国の価値はどんどんなくなっていき、オーストリアを中心とした新たなる国家を作っていったハプスブルク家でしたが、ついにそんな神聖ローマ帝国の終焉がやってくることとなります。その原因がフランスで起こったフランス革命でした。

フランス革命は皆さんご存知の通り、フランスの民衆が王様を撃破して共和制の国家を樹立したいわゆる市民革命なんですが、困ったことにこの革命によって当時王様であったルイ16世の妻であるマリーアントワネットの実家であるオーストリアも巻き込まれることとなります。

オーストリアはマリーアントワネットの何とかして救うためにピルニッツ宣言という革命に干渉する声明を発布。フランスとの戦争に踏み切ります。

こうしてオーストリアはフランスと戦うこととなったのですが、この頃フランスではナポレオンというフランスでは今なお英雄として扱われている軍人が台頭。オーストリアが影響力を伸ばしていたイタリアに侵攻してさらには、オーストリアの領土も危機に追い込まれてしまいます。

そしてついに神聖ローマ帝国最後の戦い、アウステルリッツの戦いに移ることとなるのです。

神聖ローマ帝国の滅亡

オーストリアが危機に瀕している頃、フランスでは軍人であったナポレオンが皇帝に就任。対仏大同盟という反フランスの同盟は一応結んではいたものの、ナポレオンはくじけずに同盟に参加していた国を攻撃。そして1805年にアウステルリッツという場所でオーストリアはロシアとタッグを組んでフランスに挑むこととなります。

しかし、この当時フランスは世界最強と言ってもいいぐらいの精強な軍を揃えており、オーストリアを打ち破る準備は万全。オーストリアは全く歯が立たずに敗れてしまい、オーストリアはフランスの影響力に屈してしまいました。

この結果、かつて神聖ローマ帝国が治めていたドイツ地方が神聖ローマ帝国から独立。新たにライン同盟というナポレオンの強い影響下に置かれた独立国が誕生してしまう事態が起こってしまいます。

こうして、神聖ローマ帝国が最後まで保持していた帝国の意義も完全に失ってしまいフランツ2世は1806年に神聖ローマ帝国皇帝を退位。

962年から844年続いた神聖ローマ帝国の歴史はその意義を失ったというなんとも悲しい結末で幕を下すこととなったのでした。

神聖ローマ帝国は中央ヨーロッパの大国であった

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神聖ローマ帝国は最後には権限をほとんど失ってしまいなんとも悲しい最期で終わってしまいましたが、この神聖ローマ帝国はその名前通りかつてイタリア半島に存在していたローマ帝国を目指そうとしていた国家でもありました。

神聖ローマ帝国。この国は帝国ではなかったかもしれませんがヨーロッパの歴史に多大な影響を及ぼした国であることは間違いなかったのです。

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