満州国の国家システムについて
さて、こうして誕生した満州国でしたが、満州国は建国の理念として『五族協和の王道楽土』と掲げていました。五族というのは日本人・満州人・モンゴル人・中国人・朝鮮人のこと。つまりはこの五つの民族が協力しながら楽園を築いていきましょうと満州国は言っていたのでした。
しかし、実際はどうだったのでしょうか?次はそんな満州国の実態について見ていこうと思います。
満州国の政治システム
満州国は五族協和を訴えていたのですが、その実情は日本の傀儡国であり、満州国の政治も大体の人が日本人で占めているというのが実情でした。
特に関東軍の権力は大きく、もし首相が関東軍の意向に逆らえばどんなに満州国に必要な存在だったとしてもあっさりクビにされるのがほとんど。
さらに、その肝心な選挙も憲法には立法院という形で存在していたのですが、戦争や混乱などで選挙は一度もやらずじまい。さらに結党の自由もなく国内には満州国協和会という満州国の政治を褒め称えるという全く役に立たない政党一つしか認められませんでした。
満州国の外交
満州国の設立はイギリスやフランスを中心とした国際連盟からひんしゅくを買ったこともあり、最初の頃は満州国を認める国はほとんど無かったのですが、時代が経つにつれて日本と同じ境遇にあった国たちが満州国を認めるようになっていきます。
例えば当時急速な領土拡張で世界から孤立していたドイツやイタリア、さらには親枢軸国の国であったスペインとタイ、そして日本の傀儡国であった南京政府やフィリピンなど合計20カ国が最終的に満州国を国として承認しました。
さらに、満州国を国とは認めていないものの、お隣ソ連は満州国と度々交流を行なっており、満州国の大使館をソ連国内に置くまでに発展したこともあったそうだったとか。
満州国の経済
ここまでは満州国の政治や外交について見ていきましたが、満州国という国は日本が傀儡としたぐらいですからその分経済には力を入れていました。次はそんな満州国の経済について見ていきましょう。
満州国の経済を牛耳っていた南満州鉄道
当時の人に満州国といえば必ず上がったのが南満州鉄道でした。南満州鉄道は今では存在しておらず、その認識もかなり薄れてしまっていますが、戦前の南満州鉄道は本業の鉄道事業を始めレジャー・航空会社の運営・炭鉱開発・製鉄業・農林・さらには学校や住宅地などの都市経営を行なっていた巨大組織だったのです。
そんな南満州鉄道ですが、その中でも特に満州国はおろか、日本でも憧れの的となっていたのが大連から新京までを結んでいた超特急あじあ号でした。
あじあ号の豪華さは当時の日本の鉄道とは比べ物にならないもので、当時としては珍しい全室冷房付き。さらにはその内容や食堂車で提供される料理もこの当時の鉄道の中ではトップクラス。当時の日本の代表的な特急であった燕をはるかに超えるこの豪華さは日本中の憧れの的となったのでした。
満州国の通貨
満州国では満州中央銀行という中央銀行が発行していた圓が正式な通貨として流通していました。ちなみに、今の時代の中華民国や中華人民共和国も通貨のことを圓と呼んだりします。
しかし、この通貨は日本の貨幣や朝鮮の貨幣が混じったり、銀を基準に貨幣を流通させる銀本位制にしたりしなかったりとあやふやだったために結構混乱もあったそう。
しかし、この圓は次第に満州国に安定して流通するようになり、満州国が崩壊した後もしばらくの間は法定通貨として流通したりするなど活躍したのでし