トイレ今昔物語~意外と興味深い日本のトイレの歴史をご紹介
- トイレを表す言葉の語源とは?
- 中国由来の言葉?【雪隠(せっちん)】
- まさに日本古来のトイレを指す言葉【厠(かわや)】
- 現在でも使われているポータブル便器【御虎子(おまる)】
- 古代~平安時代までのトイレ
- 自然の水洗トイレを上手に活用【原始~古墳時代】
- 人工の水洗トイレ現る!【奈良時代~平安時代】
- 中世(鎌倉時代~安土桃山時代)のトイレ
- 農作物の肥料としての活用が始まる【鎌倉時代】
- 日本人の衛生観念が向上した時代【室町~安土桃山時代】
- 江戸時代のトイレ
- 世界で最も清潔だった都市【江戸】
- まさに理想的なエコ社会だった!
- 近代~現代のトイレ
- 清潔な陶器製便器の登場
- 戦後になって一気に水洗式トイレが広まる
- 日本の素晴らしいトイレ文化!
この記事の目次
トイレを表す言葉の語源とは?
日本のトイレは、古来から様々なネーミングや別称で呼ばれてきました。でも、その言葉では知っていても、意味がちょっとわからないなってこともありますよね。まずは、豆知識として、いくつか紹介していきたいと思います。
中国由来の言葉?【雪隠(せっちん)】
現在はほとんど使う方はいないと思いますが、【雪隠】という言葉があります。読み方は「せっちん」または「せついん」。江戸時代や明治の初め頃まで頻繁に使われていたトイレを指す言葉で、実はその由来は色々な説があるようなのです。
1.中国唐の時代に、雪ちょう禅師という高僧が、杭州にある霊隠寺のトイレで悟りを開いたから。
2.同じく霊隠寺に「雪」と名の付く僧がおり、トイレ掃除が大好きだったため、名前の「雪」と寺の名前を取って雪隠と名がついた。
3.中国では古来、トイレのそばに青い椿を植える習慣があり、青椿(せいちん)がなまって「せっちん」となった。
4.トイレの別称で【西浄】という言葉があるが、「せいじょう」→「せいじん」→「せいちん」となまっていって最後は「せっちん」となった。
中国由来説が今のところ有力なのですが、現在は「雪隠」じたいが死語と化していることもあり、意味を突き詰めても、あまり意味が無いのかも知れませんね。
まさに日本古来のトイレを指す言葉【厠(かわや)】
先ほどの「雪隠」より、「厠」という言葉の方が、ちょっとしっくりくるかも知れませんね。現在でも和風居酒屋さんなどに行くと、「厠」って書いていることも多いですし。
では、その厠の語源とは何なのか?実はトイレを指す言葉の中でも最も古く、すでに奈良時代から使われていました。水の流れる川の上に板を渡し、その上で用を足すので「川屋」と呼ばれた。あるいは、川のそばに用を足す小屋を作り、そこから排せつ物を川へ流した。という説があるのです。
いずれにしても、古い時代には排せつ物を川へ流す習慣があったということを意味しています。
ちなみに「厠」という漢字は、中国から伝わってきたもので、現在でも中国では公衆トイレのことを【公共厠所】と呼んでいるのです。
現在でも使われているポータブル便器【御虎子(おまる)】
現在でも幼児や病人などが使用する「おまる」ですが、これもれっきっとした言葉の由来があります。漢字では「御虎子」とも書きますが、ちょうど形が、虎の子供が寝そべっている形をしているから。と言われています。
幼児や赤ちゃん用の、今の「おまる」だと、アヒルやパンダ、アンパンマンなどがモチーフになった商品もありますので、その昔は虎の子をモチーフとした「おまる」を使用していたのかも知れませんね。
それともう一つ。「おまる」の「まる」は、丸いという意味ではなく、実は「大小便を放つ」という本来の意味があるのです。遠く奈良時代に記述された【住吉大社神代記】には、こう記述があります。
一に云く、伊弉諾尊乃ち大樹に向ひて放したまふ。これ即ち巨川(おほかわ)と化成りぬ。
引用元 『住吉大社神代記の研究』田中卓著作集より
「イザナギが大きな樹木に向かって尿を放った。するとたちまち大きな川となって流れていった」という意味なのですが、「放したまふ」は実は「ゆまりしたまふ」と読みます。この「ゆまる」という言葉が、「御まる」となり、貴人が用を足すための便器という意味に変化していきました。
古代~平安時代までのトイレ
いよいよ日本のトイレの歴史について踏み込んでいきましょう。平安時代以前の日本では、どのように用を足していたのか?時代を追いつつ解説していきますね。
自然の水洗トイレを上手に活用【原始~古墳時代】
先ほど「厠」の語源として、川に板を渡して用を足していたと書きましたが、原始時代~弥生時代までは、まさにその通りで、当時の日本人は川の流れを利用して、自らの排せつ物を処理していました。しかし、同じ川の水を飲んだり、そこで魚を獲ったりもしているため、どこまで衛生観念があったのかどうかは謎ですが。
弥生時代終わり~古墳時代となると、各地に有力豪族が出現し始め、外敵や獣などからムラを守るために、高地性集落や環濠集落などが出現しました。周囲に堀を掘って柵をめぐらせたため、それまでのように簡単に川で用を足すわけにはいきません。となると、手っ取り早く堀の中で排せつし、溜まれば川へ捨てに行くという方法が取られていたようです。
環濠集落の遺跡である奈良県の唐古・鍵遺跡では、人間の糞が化石化した糞石が見つかっています。
人工の水洗トイレ現る!【奈良時代~平安時代】
時代が進み、本格的都市計画事業となった平城京が出現するにおよび、ついに日本にも人工水洗トイレが現れたのです。大和川水系の秋篠川から、水路を平城京内へ引き込み、築地塀の下にある暗渠(地下トンネル)から、それぞれの貴族の宅地に水を分配していました。
そこから木樋に水を流した上で排せつするのですが、大便が外へ流れていかないように沈殿させる工夫もしており、その上澄みだけが外へ流れ出るようにしていました。ちなみに沈殿した大便は、雨の日の翌日に、奴婢という奴隷や囚人にやらせていたという記録が残っています。
時代が下り平安時代ともなると、なぜか水洗トイレの習慣は廃れることに。その代わり登場したのが樋箱(ひばこ)という「おまる」でした。箱の中に砂や杉の葉を入れておく場合もあり、平安時代の人々は、この箱の中で用を足したのです。便がたまると、比須万之(ひすまし)という身分の低い者が外へ捨てに行くという感じでした。
特に杉の葉は消臭効果もあったようで、貴族から庶民にまで用いられていたそうです。また、紙が非常に貴重な時代だったため、紙の代わりに「糞べら」という、板を短冊状に切ったものを用いていました。樋箱を持てない貧しい人々は特に重宝していたそうで、常にそれを持って野外で排せつをしていたとのこと。
現在、多くの商店でにぎわう錦小路も、平安の頃には【糞小路】と呼ばれるほどでした。
平安時代には香を焚くという習慣が根付きますが、実はこれ、体臭を消すということ以外に、部屋にこもった排せつ物の匂いを消す目的もあったらしいのです。