日本の歴史

トイレ今昔物語~意外と興味深い日本のトイレの歴史をご紹介

中世(鎌倉時代~安土桃山時代)のトイレ

image by PIXTA / 13071103

日本の中世と呼ばれる鎌倉時代~安土桃山時代。排せつ物の有効活用や、衛生観念の向上がようやく見られる時代でした。それまで単に汚物でしかなかった排せつ物が、いよいよ日本人の役に立とうとしていたのです。

農作物の肥料としての活用が始まる【鎌倉時代】

一昔前までは、田んぼのあちこちに見られた「肥溜め」も最近ではほとんど見なくなりましたね。でも、この肥溜めという農業習慣が起こったのは、実は鎌倉時代だと言われています。

人糞を発酵させることにより、その発酵熱で寄生虫を死滅させ、窒素・リン・カリウムなどを吸収しやすい状態で植物に与える。そんな科学的技術が、すでに鎌倉時代にあったということはまさに驚き!室町時代に日本へやってきた朝鮮通信使も、「日本では人糞や家畜の糞を肥料とし、農作物の生産高が非常に高い」と記録しているほどです。

しかし、一般庶民の生活レベルはまだ向上しておらず、鎌倉時代後期に描かれた「餓鬼草子」の中には、道端で野糞をする男性や婦人などが描写されています。そして糞べらが散乱している様子から、そこが公衆トイレだったことが伺われるのです。

また餓鬼草子の中では、婦人は高下駄を履いていて、自分の便で裾が汚れないように配慮しているさまが伺い知れます。

日本人の衛生観念が向上した時代【室町~安土桃山時代】

京都の東福寺に、【東司】というトイレがあるのをご存知でしょうか?トイレとしては、とてつもなく広く、百雪隠と呼ばれるほど、大勢の僧たちが用を足すことができたそうです。

当時は板敷で穴が空いており、汲み取り式で近隣の農村へ肥料として有効活用されていたそうです。さらに特筆すべきは、用を足す側に【手水(ちょうず)】という水桶を置いていたこと。手水といえば、神社などで手や口を清める場所というイメージがありますが、ここでいう手水とは、手を清潔に洗うという意味になります。

まだ紙が貴重でしたので、尻を拭くには相変わらず糞べらや手を使わねばなりませんが、終わった後に、きちんと手を洗うという習慣ができたのも、この室町時代だったのです。

古い日本家屋などでは、手水鉢というものが必ずありますが、元はといえば、室町時代に始まった手水の習慣が起源だといわれています。

安土桃山時代に入り、裕福な大名たちの間では豪華なトイレが流行りました。禅宗や南蛮文化の影響を受け、畳敷きにしたり、便を受ける甕も豪華な塗りの陶器に変わったり。ついにトイレが文化となった時代でした。

江戸時代のトイレ

image by PIXTA / 19994671

時代は進み、江戸時代ともなると、ようやくトイレに対する認識が現代に近くなります。この頃になると、もはや手でお尻を洗ったり、糞べらを使うこともなくなり、公衆道徳をわきまえることが美徳とされるような時代となったのです。

世界で最も清潔だった都市【江戸】

この当時、世界中のどこの都市よりも衛生観念が高く、清潔だった都市は江戸でした。元々が干潟や湿地を埋め立てた土地だったため、井戸を掘るにも塩水が出てくるので、遠く多摩川や井の頭池などから水を引いて上水道としたのです。これが有名な玉川上水神田上水となります。

もちろん、そんなキレイな水に排せつ物を流していたわけではありません。そのような不届き者が出ないよう、各所に水番所が置かれて厳重に見張られていたのです。

江戸庶民の多くは、長屋や町家住まいだったため、各所に共同のトイレがありました。といっても、戸はあるものの下半分しか隠れず、鍵も付いていなかったので、非常に簡素なものだったと思われます。

そして江戸時代に入ってから、ようやく庶民にもお尻を拭くための紙を使う習慣が根付きました。紙といっても、古紙やボロ切れを漉き直して作った「浅草紙」という最下等のちり紙で、これで鼻をかんだりもしたそうです。使い終わった紙も、もちろん回収してリサイクルに回します。本当に資源を無駄にしなかったんですね。

まさに理想的なエコ社会だった!

江戸時代のトイレといえば、ほとんどが汲み取り式で、そこにたまった人糞は、実は意外と高値で取引されていました。定期的に下肥屋という汲み取り業者がやって来て、便を汲み取っていくのですが、たまに近在の農家さんからも「譲ってくれ」と声が掛かります。そこで長屋の大家さんは、便の価格競争をさせて、より高値で買い取らせたということがよくあったそうですね。

また、各藩の大名屋敷では、広大な敷地を使って、お国の野菜などを自分たちで作っていたそうです。その際には、屋敷から出る人糞だけでは足りないので、わざわざ町へ買い付けに行っていたとのこと。

最盛期には100万を超える大都市だった江戸ですが、人々の食生活を支えるために、肥料としての排せつ物が大量に必要でした。どんなものでも決して無駄にせず、有効活用する。江戸時代とはまさに究極のエコ社会だったのかも知れませんね。

次のページを読む
1 2 3
Share:
明石則実