19世紀ドイツの学者兄弟「グリム兄弟」の生涯と童話の世界を解説
グリム兄弟の基礎知識~6人兄弟だったって本当?
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グリム童話とはグリム兄弟が編纂(多くの材料を集めて整理し書物にまとめること)した「ドイツの昔話集」のこと。グリム童話というとグリム兄弟が創作した童話と思われがちですが、実はグリム童話とは、昔からドイツに伝わる物語を集めてまとめた童話集なのです。では、そんな童話集を編纂したグリム兄弟とはどのような人物だったのでしょう。グリム兄弟の人物像とグリム童話の基本情報についてまとめました。
ヤーコプとヴィルヘルム:グリム兄弟は文学者
最近ではモンスト(モンスターストライク)などのゲームソフトのキャラクター「伝説の童話王 グリム兄弟 (獣神化)」として知っている、という方も多いかもしれません。ただ、今回この記事でご紹介するのは、プラズマ攻撃を連発するグリム兄弟ではなく、グリム童話を世に広めたドイツの文学者であるグリム兄弟です。
グリム童話を編纂した「グリム兄弟」といえば、一般的には、兄のヤーコプ・ルートヴィヒ・カール・グリム(1785年~1863年)と、弟のヴィルヘルム・カール・グリム(1786年~1859年)を指します。
グリム兄弟は男5人、女1人の6人兄弟であったと伝わっていますが、グリム童話の編纂を行ったのはヤーコプとヴィルヘルムのふたり。弟のルートヴィッヒ・エミール・グリム(1790年~1863年)が挿絵を担当したことがあるため、この3人を「グリム兄弟」と称することもあります。
グリム兄弟の父親は法律家で、実家は裕福であったと伝わっていますが、幼いころに父を亡くしてからの生活は苦しかったようです。
苦学の末に大学を卒業し、古代ゲルマン文学をはじめとする数々の伝説や寓話を研究し始めたヤーコプとヴィルヘルムは、1800年の初め頃から少しずつ、ドイツの昔話の調査収集を始めていました。
大学教授・図書館司書:数多くの文学に携わるグリム兄弟
兄ヤーコプは若いころ、図書館の職員として働くかたわら、ドイツ文学の研究に多くの時間を費やしていました。
その一方で外交業務にも携わっており、ウィーン会議など国際的な出来事にも関わっています。兄ヤーコプはバイタリティにあふれた才能豊かな人物だったのです。
多くの経験を積んだ後、1829年にゲッティンゲン大学に教授として召喚。大学教授として教鞭をとりながら古い神話や伝説、ゲルマン文学などを研究し、書物にまとめています。
活発な兄と違い、弟ヴィルヘルムは体が弱く、表立って活動することはありませんでした。しかし性格は大変社交的で、彼が積み上げてきた地道な研究は現代でも大きく評価されています。
弟ヴィルヘルムもまた、兄とともに大学に招かれ教授として活動しながらドイツの古典研究に没頭。ドイツ文学の礎を築きます。
1837年、ゲッティンゲン大学では「ゲッティンゲン七教授事件」と呼ばれる事件が勃発。国王の政策に異議を唱えた7人の教授が免職や追放となったセンセーショナルなこの事件。その7人の中に、グリム兄弟の名前もありました。
いったんは職を失ったグリム兄弟でしたが、数年後に別の大学に招かれ、晩年までドイツ文学の研究を続けたのだそうです。
グリム童話とは?グリム兄弟がまとめた寓話集
日本人にもなじみの深いグリム童話は、すでに述べたとおり、グリム兄弟が長年かけて集めたドイツの伝承や昔話をまとめたもので、正式には『子どもと家庭のメルヒェン集』というタイトルがつけられています。
ドイツでは、古くから伝わる空想的な昔話のことを「メルヒェン(メルヘン)」と呼んでいました。
メルヒェンは昔から、口伝えで伝えられてきた物語。グリム兄弟がまとめるまでは文章として残されていなかったものが多く、ドイツの人々の間でさえ、忘れ去られていたものが多かったのだそうです。
グリム兄弟はこうした昔話を知る人たちのもとを訪れ、直接聞き取り、長い歳月をかけて編纂作業を続けて童話集としてまとめ上げています。
1812年に86編をおさめた初版を、1815年に70編をおさめた第2巻を刊行。しかし当初は、子供向けの童話なのか文学的学術的資料なのかはっきりしない内容で、売れ行きは芳しくなかったのだそうです。
その後何度も改訂版を出し、末弟ルートヴィヒによる挿絵が加わって、童話としてわかりやすく親しみやすい内容に変化。様々な言語に翻訳されて世界中の子供たちに読まれるようになります。
グリム童話はどのお話も、短時間で読むことができる素朴な短文ばかり。童話収集のきっかけを作ったのは兄ヤーコプでしたが、読み物として人気が出るにつれ、あくまでも言語学者としてメルヒェンを研究しようしていたヤーコプより弟ヴィルヘルムが活動の中心となっていったようです。
このようにしてグリム童話は、世界で最も多くの人々に読まれた文学としても知られるところとなります。グリム兄弟の活動は、ドイツの昔話を世に知らしめただけでなく、世界各地の昔話・寓話研究分野に大きな影響を与えることとなるのです。
よく間違う!グリム童話・イソップ童話・アンデルセン童話の違い
「〇〇童話」「〇〇物語」といった呼び方をする童話集、ほかにもありますよね。世界的に有名なものといえば「イソップ」と「アンデルセン」でしょう。イソップにもアンデルセンにも、たくさんの物語が含まれています。
ときどき「アリとキリギリスってグリム童話だっけイソップ童話だっけ?」などなど、3つの区別がつかなくなってしまうことありませんか?
グリム兄弟の業績を知るためにも、ここはひとつ、「イソップ」と「アンデルセン」に関する情報にも簡単に触れておきましょう。
「イソップ童話」は「イソップ物語」「イソップ寓話」などと呼ばれることもあります。
イソップとは、紀元前6世紀頃、古代ギリシャ時代の寓話作家であった(身分は奴隷であったとされる)人物。このイソップが書いた、主に動物を主人公にした物語を「イソップ物語」などと呼んでいるのです。相当古い物語ということになります。
イソップオリジナルの童話がほとんどと考えられていますが、一部、さらに古い時代から伝わる物語を基にしたものも。短文で簡潔、教訓を秘めた物語は子供から大人まで多くの人々に愛され続けています。
イソップ童話では「アリとキリギリス」「ウサギとカメ」「王様の耳はロバの耳」「北風と太陽」「田舎のネズミと町のネズミ」などが有名です。
一方「アンデルセン童話」とは、19世紀に活躍したデンマークの童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンが創作した童話集。多くの子供たちに読んでもらうために、アンデルセンは生涯、童話を書き続けました。アンデルセンが創作した童話は150を超えるといわれています。
「親指姫」「人魚姫」「マッチ売りの少女」など女の子たちのハートをがっちり掴むステキな物語が多いのもアンデルセン童話の特徴。ほかにも「みにくいアヒルの子」「裸の王様」「なまりの兵隊」など、誰でも一度は読んだことがある童話がたくさん含まれています。
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イソップ童話やアンデルセン童話との区別がついたところで、改めてグリム童話の代表作をいくつかご紹介したいと思います。これらはすべて、基本的にはグリム兄弟のオリジナル作品ではなく、ドイツに古くから伝わる昔話を編纂したもの。もともとの童話だけでなく、アニメや実写映画など、リメイクや二次作品として幾度となく形になっているものばかりなので「ああ、あれもグリム童話なのか!」と改めて思うこと請け合いです。たくさんあるので絞り込むのも難しいですが、特におすすめの作品を4つ、ご紹介します。
ラストが衝撃的!「狼と七匹の子ヤギ」
か弱い子ヤギたちが知恵と勇気で悪(狼)を懲らしめるという、勧善懲悪(かんぜんちょうあく)を描いた物語。
お母さんヤギが外出することになり、留守番をすることになった七匹の子ヤギたち。「誰が来ても絶対に扉を開けてはダメ」という母ヤギの言いつけを守り、狼が母ヤギの声色を真似て訪ねてきても、ガラガラの声を聴き分け、扉の下から見える真っ黒な足に気づくなど知恵を働かせ、二度までは狼を追い払うことに成功します。
しかし敵もさるもの。狼は自分の黒い足に粉をはたいて白く見せ、子ヤギたちをだまして扉を開けさせてしまうのです。
扉が開くやいなや子ヤギたちを次々に丸呑みする狼。末っ子の小さな子ヤギだけは間一髪逃げ延びます。
子ヤギを六匹も丸呑みしておなかがいっぱい。狼はその場でごろりと横になって熟睡状態。そこへ母ヤギが帰宅し、助かった末っ子ヤギから事情を聞いて、熟睡中の狼の腹を切り裂いて子ヤギたちを救出するのです。
無事再会を果たした母ヤギと子ヤギたち。狼は腹を裂かれたというのにまだ眠っています。そのすきに母子は狼の腹に石を詰め込み、裂いた腹を縫合。目覚めた狼は石が詰まった大きな腹の重さでうまく歩けず、井戸に落ちて死んでしまうのです。