奈良時代日本の歴史

万葉集とは何か?現存する最古の和歌集から学ぶ日本の心

万葉集(まんようしゅう)とは、今から1200年以上も前のものとされる、現存する最古の和歌集。と、いうことは学校の穴埋めテスト問題の対策として暗記した記憶はあるが、どういう内容なのか読んだことは一度もない、という方も多いのではないでしょうか。案外、万葉集の中身については外国人のほうが詳しかったり……そんな由々しき状況だけは避けたいものです。そこで今回はそんな「万葉集」について、成り立ちや歴史から有名な歌までじっくりご紹介いたします。

知っているようで実はほとんど知らない「万葉集」の世界

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「万葉集」と聞いて、いつ頃の時代の書物なのか、誰が書いたものなのか、すぐ頭に浮かびますか?誰もが知っている書物なのに、知っているのはタイトルだけ。せっかくだから、載っている歌のひとつでもそらんじることができるようになりたいものです。それにはまず、万葉集とは何か、基本情報を知らねばなりません。歴史や成り立ち、歌の数など、万葉集の世界へご案内いたしましょう。

いつ頃できたもの?万葉集の成り立ちと歴史について

万葉集が成立したのは奈良時代末期(7世紀後半から8世紀後半)と言われています。いわずと知れた、現存する日本最古の和歌集です。

まだよくわかっていないことも多いのだそうですが、長い期間をかけて、何度かに分けて作られたものと考えられています。

当時はまだ印刷という技術はありませんでしたので、当然のことながら、書物と呼ばれるものはすべて「写本(人の手によって書き写されたもの)」です。現存する万葉集の写本は、平安時代のものと推定されているため、奈良時代の終わりごろには成立していたのでしょう。

長い間、多くの人の手によって書き写され、伝わってきたのです。

江戸時代になると、万葉集はたくさん印刷され、多くの人に読まれるようになりました。万葉集は、一人の作者が書いたものではなく、100年以上の間に様々な人々が詠んだ歌を集め編纂した歌集なのです。

万葉集を読み解く際、歌を作った時期によって4つの時期区分に分けることがあります。

第1期は629年から672年まで。この時期は、天皇や皇族、皇室にゆかりのある人々の歌が多いようです。

続いて第2期は、奈良に都を移す710年までの期間。

第3期は733年まで。このころになると、様々な職種階級の歌人が登場し、歌の題材も恋の歌から自然情景を描いたものまで多種多彩となっていきます。

そして第4期が759年まで。この時期の歌人の中に、大伴家持が含まれます。

長い期間、様々な歌を集めた万葉集。作者不明のものも多いのだそうです。

何ページくらいあるの?万葉集の構成と歌の数について

万葉集と一口に言っても、その量は膨大です。

和歌が4516首と、漢詩が4首。20巻にも及びます。

歌の作者は、天皇や皇族から役人、農民に至るまで多種多彩。地域も、九州から東北地方まで、日本各地で読まれた歌が集まっています。

作者の中には、天智天皇(大化の改新で活躍した中大兄皇子)や藤原鎌足(同じく大化の改新で活躍した中臣鎌足)の名前も。歌を詠むことは、位の高い人のたしなみであったのかもしれません。

これだけの膨大な量となると、ひとつの書物にまとめ上げるのも一苦労のはず。いったい誰が、何の目的で作ったものなのか、これについてもよくわかっていないのだそうです。

誰が作ったものなのか、現在でもはっきりしたことはわかっていないのだそうですが、大伴家持(おおとものやかもち)が何らかの形でかかわったのではないか、と言われています。大伴家持の歌は、万葉集の中に473首も収められておりダントツ1位。歌人としての評価も大変高い人なのだそうです。

「万葉集」ってどういう意味?名前の由来は諸説あり

ところで「万葉集」という書物名にはどういう意味が込められているのでしょう。

これについても諸説あり、残念ながらはっきりとしたことはわかっていないのだそうです。

ただ、なんとなく、使われている漢字から「たくさんの言葉が集まった本」という意味合いは伝わってきます。

提唱されている説のひとつにも「万の言の葉を集めたもの=多くの歌を集めたもの」という解釈もあるのだそうです。

また、もうひとつ有力な説として、「葉」を「世」と解釈し「後の世まで末永く伝えられるべき歌集」という意味に当たるのでは、との見方も。いずれにしても、歌の内容や編纂の状態とマッチした素晴らしいネーミングと言えそうです。

この名前の持つ美しさ・奥深さも、万葉集が長く読み伝えられてきた要因のひとつと言えるのかもしれません。

万葉集が出典?元号「令和」との関係について

2019年4月1日、元号「令和」が発表されました。元号に使われた2文字は、万葉集の歌が出典であるとのことで大変話題になりましたので、ご記憶の方も多いかと思います。

これまでの元号は、すべて漢詩・漢文など中国の古典が典拠となっていましたので、日本古典文学がはじめて使われた元号、ということで、今後も話題になりそうです。

令和は、万葉集20巻のひとつ、巻五の「梅花謌卅二首并序(梅花の歌 三十二首、并せて序)」にある一文から、「令」と「和」という字が選ばれました。「令」という字が元号に選ばれたのは初めてなのだそうです。

作者不明との歌なのだそうですが、大伴旅人(おおとものたびと)であると考えられています。飛鳥時代から奈良時代の役人であり歌人で、大宰府長官を務めたこともあるのだそうです。

730年、梅に関する和歌を詠む宴が大伴旅人の家で開かれ、その場で詠まれた32首のうちのひとつ。今も昔も、寒く厳しい冬から春の訪れを告げる梅の花は、人々の心を和ませていたのでしょう。

「令月」とは、「おめでたい月」「素晴らしい月」「何をするにもよい月」といった意味があるのだそうです。

初春の令月にして、気淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす。

どんな歌があるの?万葉集の有名歌人と代表的な歌を紹介!

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では次に、万葉集にどんな歌がおさめられているのか見ていきたいと思います。と言っても、4500首以上ある歌を全部見ていくわけにもいきません。そこでまずは入門編としまして、国語や社会科の教科書に登場するような有名人の歌をピックアップしてみたいと思います。意外と知っている歌もあって、縁遠いものだと思っていた古典文学が一気に身近なものになるはずです。今回は万葉集の時期区分ごとにひとりずつ歌人を選んで、代表的な歌を載せてまいります。

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