第1期:大海人皇子の妃・額田王(ぬかたのおおきみ)
生没年は不祥ですが、飛鳥時代を代表する女性歌人です。
のちに天武天皇となる大海人皇子(中大兄皇子の弟)の妃になりますが、のちに中大兄皇子のもとへ嫁ぐという、飛鳥時代のスーパー兄弟二人から愛された女性として広く知られています。しかし実際には、額田王が中大兄皇子から愛されたという記録は残されていないそうです。
こうした逸話や、恋の歌を数多く詠んでいるところから、絶世の美女であったのでは、との推測も飛び交っています。あくまで推測であり確証はありませんが、時代を作った二人の天皇から愛された女性だとしたら、なんともドラマチック。そんな彼女が詠む歌は、多くの人から注目されていたに違いありません。
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(巻一・20 額田王)
秋の野のみ草刈り葺き宿れりし宇治の宮処の仮廬し思ほゆ(巻一・7 額田王)
第2期:三六歌仙の一人・柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)
飛鳥時代の歌人。優れた歌人として後の世まで高く評価され、歌聖と称えられている人物です。
生没年ははっきりしていませんが、7世紀半ばごろから8世紀初頭あたりまで活躍していたのではないかと見られています。
万葉集には長歌(ちょうか)が19首、短歌が75首。たくさんの歌を残しています。
長歌とは、五七を3回以上繰り返し七音で締めくくるという、古代の歌の詠み方。時代が進むにつれて長歌を要約・短縮する形の短歌形式(五七五七七)が確立し主流になっていったものと考えられています。柿本人麻呂は長歌の詠み手としても有名です。
東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ(巻一・48 柿本人麻呂)
近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ(巻三・266 柿本人麻呂)
第3期:数多くの古典に名を遺す歌人・山部赤人(やまべのあかひと)
山部赤人も柿本人麻呂と同様、優れた歌を数多く残し歌聖と称される歌人のひとりです。
生没年ははっきりしていませんが、柿本人麻呂より少し後、8世紀半ばごろの奈良時代に活躍したものと考えられています。
役人としての位はそれほど高くはなかったようですが、万葉集の他にも、「拾遺和歌集」や「新古今和歌集」などにも山部赤人の歌がおさめられているため、歌人として高く評価されていたのでしょう。
万葉集には、長歌が13首、短歌が37首おさめられています。
代表作のひとつに、富士山の情景を詠んだものがあり、万葉集を代表する歌として取り上げられることも多いです。
田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける(巻三・318 山部赤人)
若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る(巻六・919 山部赤人)