その他の国の歴史中東

ビールの起源と歴史とは?日本全国ご当地ビールもご紹介

暑い時期に美味しく感じるビール。最近はビールテイストの発泡酒や第三のビールなどの種類も増え、ますます選択肢が多くなりそうですね。飲み会や女子会、お父さんの晩酌など何かと縁があるビールですが、世界のビール消費量ランキングで日本は何位なのかご存知でしょうか。実は意外と順位は下のほうで第7位なんです。第1位はなんと16年連続で中国!第2位以降もアメリカ、ブラジル、ドイツなどと続きます。それだけ世界で飲まれていて身近にある国民的なお酒なんですよね。そこで、ビールの起源を探り、歴史を紐解いたうえで日本全国にあるご当地ビールも色々ご紹介していきたいと思います。読んで頂いた上で、今夜あたり美味しいビールでもいかがですか?

ビールのはじまりとその歴史

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まずはビールはどのようにして生まれ、どのような歴史をたどってきたのか?それは紀元前4千年以上前までさかのぼります。気の遠くなるような昔からビールが愛飲されてきたのかがわかりますよ。

古代メソポタミアで生まれたビールの先祖

世界四大文明のひとつ、古代メソポタミアでビールの先祖は生まれました。現在でいう中東地域ですね。メソポタミアは元来、チグリス川とユーフラテス川という二つの大河に挟まれた肥沃な土地で、農耕が盛んでした。収穫した麦を加工して主食としていましたが、ある時、偶然にも放置していた麦の粥に酵母が入り込んでしまい、知らず知らずのうちに発酵して出来上がったのがビールの起源だといわれているのです。

現在、大英博物館に収蔵されている「モニュマン・ブルー」という粘土板には、農耕の神ニンハラへ捧げるためのビール作りの様子が記述されており、粘土板の中央には杵を使って麦の皮を剥いている人物が描かれています。常に気温が高いこの地方では、生水が飲料に適さないために、こうしたビールが飲まれていたことがわかっているのです。

モニュマン・ブルーの画像はこちら!

古代メソポタミアでの古代ビールの醸造法

発芽させた大麦を発酵させ麦芽を作る。そしてよく乾燥粉砕させる。

次に小麦粉を混ぜて固いパン「バッピル」を焼き上げ、再び粉砕する。

砕いたものを湯で溶いて自然発酵させる。

場合によって配合を変えたり、焦がし方を変えたり、香辛料を加えることで味の変化を楽しむ。

ゲルマン人たちによって愛飲されたビール

メソポタミア地方が発祥となったビール。それがどのように伝わっていったのかはわかりませんが、紀元前1200年頃にはゲルマン人によって飲まれていたことがわかっています。彼らは確たる国家を持たず、集落ごとに生活していましたが、素朴な自給自足の生活からビールが生まれたのでした。

ギリシャの地理学者ピュテアスは、ビールを飲む彼らのことをこう記していますね。

「彼らは黍(きび)と麦を栽培して酒をつくっていたが、この酒には穀類だけでつくったものと、一部ハチミツを加えてつくったものがある」

ローマの歴史家タキトゥスが著した「ゲルマニア」の中にもビールを愛飲する彼らのことが書かれています。

「大麦または小麦より作られ、いくらか葡萄酒に似て品位の下がる液がある」

当時のローマ人は、ゲルマン人を未開の野蛮人だと考えていたので、タキトゥス自身も優越感をもって記述したのでしょう。

修道院を中心にヨーロッパで広まっていくビール

3世紀に入ると栄華を誇ったローマ帝国も衰退し東西に分かれてしまいます。その後のゲルマン人の大移動を契機として混乱したヨーロッパでしたが、草の根レベルでキリスト教が広まっていくとともに各地で教会や修道院が建てられていきました。ゲルマン人たちが飲んでいたビールとヨーロッパが繋がる時が来たのです。

共同生活を送り、世俗との関りを断ち切った生活を送っていた修道士たちにとって重要な仕事のひとつにビール作りがありました。彼らが作るビールは品質的にも優れていたので、次第に醸造量も増えて一般民衆にも飲まれるようになったのです。

中世ヨーロッパも劣悪な水事情があり、生水をそのまま飲めないために、喉が渇けば薄くしたビールを飲み、疲れた時には濃いビールを飲む。そんな生活習慣が成り立っていったのです。スイスにあるザンクト・ガレン修道院では修道士一人当たりにつき5リットルものビールの配給が割り当てられていたといいますから、日常的に酔っぱらっていたとしても不思議なことではないでしょう。

ビール王国となるドイツ

修道院や封建領主のものだったビール醸造の権利も、時代が下るにつれて一般市民たちのものとなっていきました。新たに台頭してきた商工業者たちは自由や自治を求め、それはやがてハンザ同盟などに代表される自由都市の興隆と共に、ビール醸造が重要な産業を占めることになったのです。

ドイツの小都市アインベックでは1351年、【アインベックビール】が生まれ、現在でも「ビール醸造の都」といわれていますし、1376年の記録によればハンブルクの商工業者1075名のうち、ビール醸造に携わっている者が5割弱もいたというから驚きですね。

さらにドイツビールの品質をさらに向上させて、名声を博すようになったきっかけは、1516年に出されたバイエルン大公ヴィルヘルム4世【ビール純粋令】でした。「ビールには成分として大麦とホップと水だけが使用されねばならない。」これによりビールの品質が飛躍的に上がり、その後の【下面発酵醸造法】の確立によって現在のラガービールの形が生まれたのです。

※下面発酵醸造法

下面発酵酵母を使用し、低温(6~15℃)で発酵を行い、発酵が終わると酵母がタンクの底に沈降するのでこの名が付けられています。19世紀以降、世界的に主流となっているビールはこのタイプです。

引用元 サントリー公式HPより

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