日本の歴史江戸時代

5分でわかる「大奥」の全てーどうしてできた?スキャンダルは?わかりやすく解説

ちょっと雑学

東大の赤門が、大奥のゆかりの地だということをご存知でしょうか?赤門がある場所は、江戸時代は加賀藩邸でした。十一代家斉の21人目の娘溶姫が嫁いだ先は、十三代加賀藩主・前田斉泰(まえだなりやす)です。文政10(1827)年11月に、輿入れする際に建立された御守殿門なんですよ。現在は、東大本郷キャンパスの門となっています。

その8.江戸時代最大のスキャンダルはこっち?延命院事件

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上野の寛永寺近くにある延命院の住職日道が、女犯で死罪になったスキャンダル。この時期大奥が最も乱れていたことを、象徴する事件でもあります。同じスキャンダルでも絵島の時は、政治絡みといわれ実態に乏しいのですが、延命院事件は完全に僧侶と大奥女中のスキャンダルでした。

 若年寄の要職にあった初瀬などの、名前が挙がっています。この事件の面白いところは、寺の中に密通用の隠し部屋や隠し階段が作られており、寺の内部は密会目的の設えとなっていたようです。徹夜で行われる舞台台詞もどきの説教に、御中臈の梅村に奉公していた下女のころが大奥に入る前に通っており、彼女がこの説教に引き込み芋づる式に大奥女中が増えたとか。

Tsukioka Yoshitoshi - Looking amused - A High-ranking Maid, Bunsei Era.jpg
月岡芳年http://www.ukiyoe-gallery.com/detail-c548.htm, パブリック・ドメイン, リンクによる

寺社奉行の脇坂は全てを調べ上げれば江戸はじまって以来の大事になると、日道を極刑にし、刺し障りのない女中の名を上げています。説によると日道は、歌舞伎役者の尾上菊五郎の息子丑之助で過って人を殺し、延命院に潜伏していたとか。

 もともと役者のため美男で声もよく、すぐに人気となり住職の座に収まったようです。この件が露呈するまでの9年間、密会が行われていました。当時、「坊主殺せば七代祟る」と言葉通り、脇坂は日道死罪の後失脚となり再任するも、家斉の死後毒殺されて亡くなったといわれています。

その9.網代駕籠から見つかった死体の謎?!

Palanquin (kago) from Japan, 19th century, Honolulu Museum of Art.JPG
Hiart投稿者自身による作品, CC0, リンクによる

文政4(1821)年6月に、御右筆衆おりうの部屋女中が、突然行方不明になりました。さんざん探すも見つからず、御役方に報告します。男性が長局に入り捜索するも、やはり見つかりませんでした。4日目に高級女中の乗る駕籠を改めることになったのです。

その時、中年寄の藤島の網代駕籠から、見るも無残な女中の惨殺死体が見つかります。駕籠の奥には大量の血が溜っており、仰向けで陰部があらわになっていたとか。何かの犯罪に巻き込まれたことは間違いなかったのですが、「狐狸(こり)に取り憑かれたか、妖怪の仕業」ということで落着しています。大奥ではこのような変死の時は、真相究明は一応するもこのような形で落着させていたようです。

その10.16歳の少女が命を落とした女中

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弘化元(1844)年5月10日早朝に、大奥長局から出火し、江戸城本丸が炎上したのです。将軍家慶さえも裸足で、退去するほど火の回りが早かったとか。広大院(家斉の御台所)が女中に背負われ非難した滝見茶屋で、付き添っていた御中臈のこやに、「御年寄花町は年を取っている上に病気だから逃げ遅れているだろう。行って助けてこい。」と、命じられました。

長局は既に火が回っており、中へ入るのは無謀でした。広大院の命令を反故にすることは皆無です。こやは燭台を握りしめ逃げる女中に、「燭台を握りしめた屍があったら、私と伝えてほしい」と頼み、炎の中に飛び込んでいきました。鎮火した長局には、燭台を握った死体があったのです。

たった16歳で亡くなったこやの屍は父へ引き渡されています。こやの最後を聞いた人々は、皆涙を流したようです。この火事で亡くなった奥女中は、100人に及んだとか。

華やかだけど寂しい世界?大奥女中の事件はちょっぴり心が痛い

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絢爛豪華な女の園の大奥は、女の嫉妬と憎悪が渦巻く実は寂しい場所だったのでしょうか。多くの女中が、小型犬や猫を飼っています。篤姫のペットは猫で、年間の餌代は25両(250万円)だったとか。自由がなかった大奥では、ペットは慰みだったのかもしれませんね。

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