平安時代日本の歴史

5分でわかる「平将門」の生涯ー平将門の乱はなぜ起きた?刀は?わかりやすく解説

5.「平将門の乱」の前兆

「弓の名手で戦上手」との名声は全国に広まるも、悪人はどの時代にもいます。その陰には朝廷との関係が良くない、将門を利用しようとするものまで出てきたのです。有名になったのはいいのですが、将門は反乱へと突き進んでいきます。

 

5-1.朝廷から独立する

朝廷の実権を握っていたのは、藤原忠平でした。忠平は菅原道真を陥れた、藤原時平の弟です。都では皆が、「将門には、道真の怨霊が乗り移っている。」と恐れおののいたとか。

「平将門の乱(承平・天慶の乱とも)」を起こすころ、関東8ヶ国を征服していました。天慶2(939)年12月には、勝手に朝廷からの独立を宣言し自らを「新皇」と称し、京の貴族たちを震え上がらせています。将門は、朝廷とは別の政府を作ろうと試みたのです。勝手に自らを「新しい帝」としたのですから、国司に向けてではなく朝廷への反乱といわれても当然ですね。

朝廷は神社に命じ乱が鎮まるよう祈祷させ、坂東の豪族たちを集め恩賞を定め協力させるのです。想像してみてください。蹴鞠や歌に興じていた朝廷が、強い武力を持っているわけがありません。官位やお宝で、豪族をつったということです。

5-2.「平将門の乱」のきっかけとは?

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次々と父の領地を取り戻す将門は、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。国香が殺されたことで焦った源護は、違う娘の嫁ぎ先の平良正に助けを求めました。良正は良兼と共に父の無念を晴らそうとする国香の息子貞盛が連合軍を作り、将門に戦いを挑むのです。良兼は命からがら、下野国(現:栃木県)の国府のもとに逃げ込みました。

おじである良兼を許し、逃げ道を作って見逃がしたのです。敵に情けをかけた将門の態度に感動した民は、荒々しい男だが、優しさも持つ人物だ“と評価しました。しかし、源衛が朝廷に訴え、将門は囚われます。承平7(937)年4月の朱雀天皇元服による恩赦で無罪放免となるも、良兼が再び攻撃しました。

将門は相手にせず、京で侍った藤原忠平に、良兼らの悪行を訴えるのです。朝廷から、吉兼と貞盛が追補の命がくだりました。貴族たちも度肝を抜いた、「坂東の風雲児」平将門を象徴する馬上像が坂東市にあります。

5-3. 大切な弟の存在

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今は美しい風貌をみせる富士山の活動が盛んだった承平7(937)年頃は、噴火による凶作などで民を悩ませていました。再三に渡る豪族たちの武力衝突や国司からの厳しい納税も重なり、積もり積もった不満は恨みにまでなっていたとか。

おじたちとの争いも終わり下総国石井に屋敷を構えた将門は、「我が地は、武にあり!」と勢力を強めようとしました。弟の将平が諫め「民のために守りの武を”」と諭しました。将門にとって弟は、はっきりと意見をいう相談役として大切な存在でした。

将門が武力にこだわった背景には、都では出世できなかったという挫折を味わった悔しさもあったようです。

6. なぜ「平将門の乱」を起こした?

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一族から領地を取り戻す戦いでは、おじの首は取らず逃げ道を用意するなど、無意味な戦いは好まなかったようです。しかし、心の奥底に潜む野心に、火が…。もしかしたら将門自体が疑心暗鬼になっていたのかも。とうとう、「平将門の乱」が起ってしまうのです。

6-1.将門の野心

藤原玄明の救済は、大問題に発展しました。常陸国の国司が玄明を許さなかったため戦争になったのです。もちろん将門の圧勝で、武力による朝廷への反乱と捉えられました。将門自身にも坂東全体を手中に収めるべく、野心が芽生えています。これが有名な「平将門の乱」の始まりです。

民衆の心に宿った「坂東に生まれ、坂東で育った物は、すべて坂東の物」という言葉は、将門の政のテーマでした。野心に燃えた将門は、体制を整え下野国や上野国まで占領します。常陸では、国府を襲って国司を捕え監禁し、下野国では、国府を襲い占領し刻印を奪って国司を追放。上野国など次々と襲い、そうして諸国の国司を、将門自ら任命します。もちろん、将門のしたことは、朝廷への謀反です。朝廷内で大きな問題になります。

6-2.恐れおののく貴族たちの神頼み

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各地で領地争いが起り、自分の土地を守るため、地方の有力農民や豪族たちは武芸に励みます。彼らは武士となり、戦いを職業とするものも出てきました。これが武士の始まりです。

京に将門が攻めて来るかもと、貴族たちは正月の祝い事も中止するなど慌てふためき、あらゆるところで将門退治の祈祷が行われました。朱雀天皇にいたっては将門を討伐したいと、東大寺を始め力のある寺から僧侶を呼び寄せるほどだったとか。

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