室町時代戦国時代日本の歴史

5分でわかる絶世の美女・細川ガラシャの壮絶な人生!なぜキリシタンに?わかりやすく解説

2. 夫からの異常な愛情

逆臣の娘となったガラシャは、夫・忠興によっていったん幽閉されてしまいます。幽閉を解かれた後は、忠興の愛情は一種異常なものに変わっていきました。厳しい監視下に置かれたガラシャは、息の詰まる日々の中で唯一の光を見出します。それが、キリスト教でした。

2-1.  優しかったはずの夫の変化

本来ならば、大罪人の娘であるガラシャを離縁しなければならない忠興でしたが、彼はそうしませんでした。おそらくガラシャを愛していたからでしょう。

しかし、豊臣秀吉や世間の目もありますから、忠興は人里離れた場所である味土野(みどの)にガラシャを幽閉することにしました。ここでの生活がしばらく続きますが、この辺りから、忠興のガラシャに対する愛情が徐々に異様なものとなっていきます。とはいえ、忠興はひそかにここに通ってきており、このころにまた子供も生まれました。

本能寺の変の2年後、秀吉からの取り成しにより、ガラシャの幽閉は解かれ、大坂にある細川屋敷へと戻ることができました。しかし、優しかったはずの夫の態度は変化し、ガラシャを終日厳しく監視するようになっていったのです。

2-2. 夫の異常な行動にも動ぜず

どうも、ガラシャと忠興の夫婦関係はふつうのものではなくなっていったようです。

ある時、植木職人がガラシャの美貌に見とれて思わず仕事の手を止めてしまったことがありました。

それを見た忠興は、なんと職人をその場で手討ちにしてしまったのです。その上、職人の首をガラシャの目前に突きつけたというのですから、何とも異常な話としか言いようがありません。

ところが、ガラシャはその首を見ても顔色一つ変えることはなかったそうです。

そんな妻に対し、忠興は「お前は蛇のような女だ」と言い放ちました。

するとガラシャは、「鬼には蛇の女房がふさわしゅうございましょう」と言い返したそうです。

2-3. 胆の据わり方はガラシャの方が上

忠興は瞬間湯沸かし器的な性格で、家臣を手討ちにすることがたびたびでした。

この日も、何か手落ちのあった家臣を斬り捨てた忠興は、血の滴る刀をガラシャに突きつけると、やおら彼女の着物で拭ってみせたのです。妻が表情を変えるところを見たかったのでしょうか。

しかし、ガラシャはこの時も動揺を見せることはありませんでした。

反対に、血の付いた着物をそのまま何日も着続けたというのです。

これにはたまらず、忠興は謝り、「頼むから着替えてくれ」と言ったとか。

時には穏やかな時間もあったようで、忠興がガラシャの部屋に入って来て下の句を詠みかけると、ガラシャがすぐに上の句を返すなどというやりとりもあったそうです。

2-4. 舅でさえもたじたじに?

同じような話ですが、舅・細川藤孝さえもガラシャの肝っ玉の据わりようにたじたじだったという話もあります。

いつものように家臣を手討ちにした忠興。首と胴が無残にも切り離されてしまった家臣の遺体を見て、ガラシャは気の毒そうな顔をしながら黙って目を伏せました。

すると忠興は、「それならば大事に飾っておくがいい!」といつものように冷酷に言い放つと、その首を棚に置いて帰ったのです。

生首など怖くて誰も片付けられませんから、首は放っておかれたまま。いつしか腐敗臭まで漂い始めましたが、ガラシャはいっこうに気にする様子はなく、平然としています。奉公人たちは困り果て、舅・藤孝のもとに訴え出ることにしました。

奉公人たちの困りようを見て、藤孝は忠興を伴い、ガラシャの部屋にやってきます。生首と共に生活しているガラシャに対し、2人は「片づけてはくれないだろうか?」と下手に出るしかありませんでした。

頭を下げる舅と夫を黙って見つめたガラシャ。そして、首を片付けるようにと奉公人に命じたのです。

こんな生活でしたが、この間にも2人には次々と子供が生まれており、最終的には三男二女(三女とも)に恵まれることとなりました。

2-5.  なぜ夫婦仲はおかしくなったのか

忠興とガラシャの夫婦関係は、ふつうとは決して言えないものでした。

ガラシャが逆賊の娘となっても離縁しなかったのは、忠興の心が彼女にあったからにほかなりませんが、秀吉や世間の目を逃れるために幽閉しなければならなかったからだと思われます。

しかし、ガラシャの美貌は世に聞こえたもの。幽閉を解かれた彼女ですが、いつ、色好みで有名な秀吉の手が伸びてくるかわかりません。実際、忠興は遠征先からガラシャに対し、「秀吉の誘いに乗るな」という旨の手紙を何度も書いているのです。また、彼女に見とれて手討ちとなった植木職人の例を見れば、忠興がいかに、彼女が他の男の眼に触れることを嫌っていたかがわかります。それゆえ、彼女を監視し、時に辛く当たるようになったのでしょう。

ガラシャの方では、そんな忠興の愛情が重く感じることもあったと思います。そのため、彼女はかたくなになり、冷ややかな物言いをするようになったのかもしれません。

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