巨大神殿
エジプトには数多くの古代神殿が遺されており、観光客にも大変人気です。有名なものをいくつかご紹介しましょう。
●アブ・シンベル神殿
エジプト南部にあるヌビア遺跡の中に「アブ・シンベル神殿」という巨大な岩窟神殿があります。褐色の岩山をくりぬいて造られた神殿の正面には、ラムセス2世の巨大像が4体。ラムセス2世は紀元前1300年頃のエジプト新王国第19王朝のファラオで、多くの神殿を建造し、エジプト内外に大きな力を持っていました。一説には大変長寿であり、60年以上に渡って在位を続け、子供が100人以上いたといわれています。
アブ・シンベル神殿は1960年代に行われた、アスワン・ハイ・ダムの建設に伴う移設工事でも大変話題になりました。このことがきっかけで歴史的遺構や自然を保護しようという声が高まります。この動きが後にユネスコ世界遺産創設へとつながっていったのです。
●カルナック神殿
カルナック神殿は「新王国時代(だいたい紀元前1500~1000年頃)」に建てられたとされる巨大神殿。神殿というより街そのものといったほうがよいほど広大な、100ヘクタールにも及ぶ敷地の中に様々な施設が建ち並ぶ複合施設です。エジプト文明最大の建造物としても知られています。
●ルクソール神殿
ルクソール神殿もラムセス2世に関連する神殿。カルナック神殿の副神殿として建てられたとされています。「いったいどうやって造ったんだ!」と思わず唸ってしまいそうなほど巨大な石柱が何本も天に向かってそびえ立ち、ひとつひとつに細かい絵や文字や装飾が施されています。
神殿の入口には高さ20m以上もあるオベリスク(モニュメントの一種)が。もともとは左右2本対になっていたものですが、現在では向かって右にあった1本はフランスのコンコルド広場に設置されています。
●ハトシェプスト女王葬祭殿
古代エジプト最初の女王として知られるハトシェプストによって造られた葬祭殿。古来よりナイル川の西岸は死者の領域と言われており、この遺跡も川の西側に造られています。
巨大な岩山の麓に築かれた祭殿は、一見すると近代建築かと思うほど直線的で均整の取れたモダンな雰囲気。3階建てのテラス付き建造物と中央に伸びる長い通路が印象的です。
エジプト文明がもたらしたもの
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エジプト文明はナイルの恵みと絶対的な王の存在により、長きに渡り繁栄を続けてきました。そのため、現代社会にも通じる様々な文化・技術が数多く生み出されています。最後に、ほんの一部ですが、エジプト文明がもたらしたものについて見ていきましょう。
農業
エジプト=砂漠というイメージが強いですが、ナイル川の氾濫とともに古代エジプトの農業技術は非常に進んでいたと考えられています。大麦・小麦など穀物をはじめ、野菜、豆類、果物など様々な作物が作られていました。
古代エジプトでは、主食としてパンをよく食べていたのだそうです。
パンの原形となるものは1万年以上前から、メソポタミアで作られていました。当初は小麦を練って焼いただけのもので、かなり硬かったと推測されます。これが時とともに周辺地域へ広まっていき、エジプトにも伝わりました。あるとき偶然、練った小麦粉が膨らむ(発酵)することがわかり、ためしに焼いてみたらこれがとても美味!以後、エジプトでは盛んにパンが作られるようになり、この技術は世界各地へと伝わっていったのです。
同じくビールも、古代エジプトではよく作られていました。ビール醸造の様子を描いた壁画なども見つかっています。
数学・天文学
古代エジプトでは実用的な学問が発達していました。
ナイル川の氾濫の後の干拓地で効率よく農業を行うために、測量技術は欠かせません。また、農産物を収穫した後で税を収拾するためにも、数をきちんと把握し配分する必要がありました。最盛期にはかなりの人口があったと考えられており、人々の暮らしのために実用的な数学は必要不可欠だったのです。
また、農耕の時期を知るために、より正確な暦も必要となります。川の氾濫の時期を正確に予測するため、エジプト人たちが着目したのが太陽や夜空に輝く星々の動き。丁寧に観察し記録をつけることで、毎年決まった時期に川が氾濫することを突き止めたのだそうです。
黄金
エジプトと聞いて「ツタンカーメン王の黄金のマスク」を思い浮かべる人も多いと思います。ツタンカーメンのマスクが作られたのは紀元前1300年頃。それよりもっと古い時代の紀元前3000年頃には既に、黄金の装飾品などが作られていたようで、エジプト文明は黄金とも深い関わりがあるのです。
太陽を信仰していたエジプトでは、光り輝く黄金は太陽神ラーを崇めるために必要なものでした。金の採取方法はおそらく、ザルや布のようなものを用いて砂金をすくっていたのだと思われます。
ツタンカーメンのマスクは現代の価値に換算すると300兆円とも400兆円とも言われているそうです。小さな砂金粒をコツコツ集めて、王の仮面や宝飾品を作っていたエジプトの人々。ピラミッド建設に匹敵する、相当な重労働であったに違いありません。
ヒエログリフ
エジプト文明を語る上でもうひとつ、欠かせない要素があります。それは「文字」です。
古代エジプトでは、石版や石碑などに数多くの象形文字が残されています。これらはエジプト文字と呼ばれ、古代の人々の様子を知る大きな手がかりとなっているのです。
ヒエログリフは前述のロゼッタ・ストーンに代表されるように、エジプト文字の解読および古代文明研究の分岐点として非常に重要な役割を担っています。この解読の後も、ヒエラティックやコプト文字など様々なエジプト文字が解読され、エジプト文明の研究は日一日と進められているのです。