ヨーロッパの歴史

【芸術】写実主義・リアリズムって?19世紀の画期的な芸術革命の世界

写実主義と共に生きた文豪・エミール・ゾラ

フランス文学において、エミール・ゾラは泣く子も黙る存在です。このゾラが写実主義運動を作り、盛り上げ、発展させ、そして時代遅れとなっていきました。写実主義の象徴的な作家です。

彼は自身の『実験小説論』に基づいた文学を展開。その内容はというと「遺伝と環境、医学、科学に基づいた人間の行動を描きたい」というもの。とはいえそれは後世のフランス文学関係者に「現代では読む価値はない」とバッサリ言われるほど的外れなものでした。

図書館や書店でゾラの作品を手にとってみてください。生活用品、服飾品のカタログ、街の図録といった様相。ゾラの『実験小説論』の実践である「居酒屋」「ナナ」はストーリー、モチーフ等、超逸品の長編。また短編も良作を多く残しています。しかし「すべてを科学的に描く」ことは、適切な情報の取捨選択を行い文章に記して読者に物語を伝達する、という小説の本質から外れたことであるという厳然たる事実の前に、彼の提唱した写実主義は斜陽に向かっていくのでした。

「完璧な文章」を創造した巨人・フローベール

完璧な小説・完璧な文章というのは存在しない、と思っていませんか?ところがどっこい存在するのです。そこにしか当てはまらない適切な言葉のチョイス、声に出したときの文章の調和した響き。物語の構造のスキのなさ。その完璧な小説・完璧なフランス語の文章を創造したのが、フランスの写実主義作家フローベールです。

フローベールの文章は「完璧」。フランス語のお手本です。代表作『ボヴァリー夫人』は田舎医者の妻が不倫の恋をするという、ストーリーとしてはたったそれだけ。しかしフランスの田舎の姿の活写、主人公エマ・ボヴァリーを男が口説くシーンでは農業祭が開かれ、家畜がガーガーと鳴き交わし俗物の人物らが祝辞を述べるという、どこか滑稽な様子を演出する「ズラし方」の妙など、逸品です。これはそれまでの文学ではされたことのない演出・技巧でした。

フローベールはだだっ広い原っぱの真ん中に立った木の下に立ち、書いた原稿を声を張り上げて音読し、響きが悪ければ直しを入れるという創作方法をとっていました。そうすると黙読したときにも非常に心地よく、整合性のとれた文章となるのです。

写実主義のガラパゴス化?日本の「自然主義」

西洋で写実主義隆盛なりし頃、日本はちょうど明治時代。追いつけ追い越せで西洋のまねっ子をする、芸術や文学もその例外になりませんでした。それまでの日本文学というと、江戸っ子に愛された「南総里見八犬伝」「東海道中膝栗毛」などのエンタメ小説がメイン。それら勧善懲悪、戯作小説を否定したところから日本近代文学ははじまります。

坪内逍遥の『小説神髄』は政治面・道徳面の思惑、お説教くささを排除し、客観描写につとめることを主張。その後、田山花袋の『蒲団』が写実主義=自然主義文学の極北として絶賛されます。一切の形式や様式を排除し、そこに存在するままのことを描く、日本独自の「自然主義」が誕生しました。

しかし日本の自然主義は「あるがままで」の意味が『蒲団』の作風の影響から、「露骨に」と曲解される方向にむかってしまいます。日本において写実主義文学は(他のあらゆる芸術と同じく)ガラパゴス化したと言えるでしょう。

 時雄は机の抽斗を明けてみた。古い油の染みたリボンがその中に捨ててあった。時雄はそれを取って匂いを嗅いだ。暫(しばら)くして立上って襖(ふすま)を明けてみた。大きな柳行李が三箇細引(ほそびき)で送るばかりに絡げてあって、その向うに、芳子が常に用いていた蒲団(ふとん)――萌黄唐草(もえぎからくさ)の敷蒲団と、線の厚く入った同じ模様の夜着とが重ねられてあった。時雄はそれを引出した。女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。夜着の襟えりの天鵞絨(びろうど)の際立って汚れているのに顔を押附(おしつ)けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅かいだ。
 性慾と悲哀と絶望とが忽たちまち時雄の胸を襲った。時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷めたい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた。

【引用元:田山花袋「蒲団」青空文庫(底本は新潮文庫)】

若い女弟子の男性関係に煩悶する、妻子持ちの小説家の男の物語。エゴイズムと鬱屈した性欲、醜悪とまで言える姿。ここまで露骨に、みっともなく、人間や世間のことを描いたということは、日本文学において非常に画期的でした。

エグいまでのこの心情描写・ストーリーが「自然主義」と言われたことで、その後に続いた「日本自然主義」の方針も西洋とは異なることになります。

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