信長の遺体が残らなかった理由とは?
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遺体が残らないほどの事態とはどういったことなのでしょうか。それは一言で言うと爆死なのです。本能寺はお寺といえども、周囲に堀が巡らされた要塞のような形をしており、火薬庫である可能性もありました。それでは何故信長が爆殺されたのかですが、これは火薬である煙硝の商流における取引で利権をめぐり、信長がある存在とトラブルを起こしていたということです。信長を爆殺することで、信長亡き後に天下をとる武将に対して、煙硝に関して今後はあまり深く関わるなといった警告でした。
信長には知られざる別の野望があった!
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煙硝とは鉄砲に使われる火薬ですが、日本では産出することのない貴重な資源であり、日本に対してはマカオが流通拠点だったのです。今までの南蛮貿易ではブローカーを通じてしか煙硝を手に入れることができなかったのを、恐らく信長はマカオを直接支配下に入れて利権を一手に担うことを画策するなどして、南蛮貿易のブローカーを刺激したのでしょう。信長は四国攻めと称し、イエズス会に察知されない形で水軍を集めて、四国ではなく本当はマカオを目指していた可能性もあります。
本能寺の変で見せしめにあった信長
本能寺の変は謎が多い中、ほとんどの説が軍記物に見られる手がかりから発生しています。その上私怨や野望、攻撃阻止のためなどいずれにおいても討ち取った相手の遺体を確認することは必要最低限のことなのです。しかしその最低限の遺体が不明のままであるということは、明らかに日本の武将が同じ日本の武将を討ち取ったときとは状況が違いすぎます。本能寺の変に関する記述が世界的に存在しない中、推理によって導き出される真相とは、信長は煙硝仕入れルートを巡る利権でトラブルを起こし、結果として爆死の見せしめにあったといことです。
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